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はじめに

 前衛書道の創始者である上田桑鳩が「書道は感情芸術である」という言葉を残している。その上田を師として学んだ長岡美和子も自らもその言葉を踏襲した。書道の技術的な基礎を築き上げた上で、その「感情芸術」としての表現を極めてきた。

 今回の作品集は、特に 2008 年からの墨象作品を中心に紹介することになった。すでに 50 年以上の書道歴をもつ長岡は、08 年の個展から、文学から発想を得た作品制作を行うようになった。つまり、作品として書く「文字」を選ぶ際に、自らの読書の時間の中から文字として立ち上がってくるものを作品にしている。

 それが、どんな基準で決められるのか、本人の意識でもはっきりと説明がつかないという。読書に興が乗り、この文学作品で書きたいと思っても書作品とする文字が浮かびあがってこないことがある。長岡美和子の心の深層で、本人の意識を超えた精神の脈動が、無意識の領域で文字を決定していく。

 小林秀雄、埴谷雄高、芥川龍之介、横光利一そして古事記から選ばれた文字が、長岡の墨象の世界に登場した。この作品集では、その作品を観ていくことにする。

2014年6月発行画集より

不等辺三角形から正三角形、そしてひとつの「点」になった

 書道を始めて、現在まで 53 年の歳月を数えてきました。個展での発表は、1984 年(昭和 59 年)から毎年行い、昨年、30 回の記念展を開催しています。そして今年はドイツ・ベルリンでの展覧会が決まっています。同時に古武道(神伝円心流・八段教士)は 43 年、日本画は 38 年の時間が経過しています。さまざまなことを手掛けていると集中力が散漫になるのではないかと思う方がおられるかもしれませんが、むしろ一番やりたい書道を支える基盤を作っているのです。

 最初は気持ちの上で、書道が私からもっとも近い関係で、その次が古武道、日本画の順に距離が離れていました。三角形を描くとしたら不等辺三角形となったでしょう。それがやがて正三角形になり、今や一体となって中央に収束し点となっています。古武道によって習得した腹式呼吸、体重移動の所作が「書」を書く時の姿勢を安定させてくれます。日本画は、ある時人物のスケッチを膨大に描いた時がありますが、そのあと個展のために書いた「書」は、スケッチのために相当時間を費やした後にも関わらず、例年より格段の進歩を自覚することができました。何ひとつ、時間がマイナスには働いていないことがわかります。逆に「書」を書くことによっても、古武道、日本画にもプラスの影響を与えていることは言うまでもありません。つまり三者が中央に収束した一点の点になっているからです。そしてそれが結果的に私の総合力となっています。

 書道は、小学校の5年生になると毛筆書道の授業があり、その時の墨の香りにすっかり魅了されたのが始まりで、高校では書道部に入部し、大学は書道を専攻したいと考えるようになりました。ところが書道の専門の大学は無いということが分かり、どこでも好きな大学へ行って書家につきなさいとアドバイスされました。書家という存在がある事もその時初めて知りました。それで大学は数学科に行くことに決め、近畿大学理工学部数学物理学科に進学したのです。
ところが、それが一生をかけてやることになる前衛書道に出会う大きなきっかけとなったから驚きです。大学では文化会書道研究墨濤会(ぼくとうかい)に入部しました。なんとそこの顧問が書家の酒井葩雪(さかいはせつ)先生で、前衛書道を考えだされた上田桑鳩(うえだそうきゅう)先生のお弟子さんです。そのお二人に同時に師事することになったのです。

 1964 年(昭和 39 年)、大学1年生の時、前衛書道を初めて書くことになりました。前衛って何ですか?と先輩に聞くと自由に書けばよいというだけでした。私は毛氈の上に全紙を一枚広げ、文鎮を四か所に置き書くしかありません。しかも初めての「わら筆」です。持ち方だけは傍の先輩に聞きました。思い切って筆を動かしすぎて、大きく書き過ぎ、次を書く場所がなくなり、仕方なく毛氈の上にまで書いてしまいました。つまり紙面には書いていない部分があって、そして最後に跳ね上げるところでやっと紙に戻ったのです。こうして前衛書道第一作「道」ができました。もっと書いてみようとそれを捨てようとした時、顧問の酒井先生がいらして、作品になっているからそのまま乾かしなさいと言われたのです。何がいいのか、どういいのか解からぬままそこからスタートしました。

 その後、大阪の梅田にある阪神百貨店で近大書道部研究墨涛会(ぼくとうかい)の単独展が開催されました。私が生まれて初めて書いた前衛書道「道」も展示されました。その日、上田桑鳩先生が批評を一人ずつして下さったのです。上田先生からはこの最後の跳ね上げたとことが特に良いと言われたのです。先輩からはそこが良くないと言われたところなので、印象的でした。

 しかし、数点制作した後は、毛氈の上の全紙を見るだけで一向に手が動かないようになりました。基礎も無ければ解かってもいないのですから当然のことです。実態を思い知ったわけです。理工学部の数学科も専攻は代数で遊び半分では付いていけないので、学業にも専念しました。いったい自分は何がやりたかったのか、どうしたいのか「書」に関しては混乱状態に陥っていました。全く周りも見えず考えられなかった時代だったと言えます。そして4年間で大学を卒業しました。

 卒業後は、それでも書道がやりたくて自分で練習をしました。私が卒業をした1968年(昭和 43 年)に上田桑鳩先生は亡くなられました。69 歳でした。暫くして大学の時の書道部顧問の酒井葩雪先生に電話をすることにしました。先生は日曜日の昼から一般向けに書道を教えていたので、そこに出かけていきました。始めから先生は私に向かって自分でできる人は自分でやって下さいと言われ、仕方なく人が習っているのを見て覚えました。そのうち酒井先生は昼になっても一向にやって来られないようになりました。午前中は古武道の神伝円心流(当時は円心流、その後分派神伝円心流宗家に)の稽古をしてから、ゆっくり昼を食べ休息してから書道指導に来られる事が解かってきました。それで私も、お誘いもあり古武道の稽古をすることになってしまいました。ここから古武道との長い付き合い、毎週の稽古が始まるのです。まだ、毎年の書道の個展を始める以前のことです。

 日本画も、この関係から派生しました。私より半年遅れて古武道に入門してきた後輩に、稽古の休憩時に 1 年間にわたって日本画を始めないかと勧められ続け、私は根負けしました。そこで日本画の指導を受けるために教室に通うことになったのです。その後、日本画を薦めた古武道の後輩が全日本美術協会(全展)の公募展に出すように言うのです。公募展だから 50 号は最低描いてということです。書道も古武道もやっている、その当時お花もお茶もやっていましたから時間に余裕があるわけはありません。日本画で公募展に出そうと「全展」に入って来る人達は、最低 10 年以上は日本画の先生に個人指導で学んだ後、出品してきます。私の様なのはいませんでした。日本画は絵具が特殊なので基礎知識がないと無理があります。東京都立美術館での公募展に私を誘った古武道の後輩は全展の兵庫県支部長で、展覧会に行けない人のために批評を聞いてきてくれます。やっと日本画を描いている私の作品を「全展」の日本画の審査員の先生は「他の人達は上手いけれどこれ以上にはならない。しかし彼女の技術はゼロだが、絵そのものは一番良いし誰にでも描けないものを持ち合わせている」と言われたそうです。それから 10年程経過した頃、やっと岩絵の具の使い方が解かってきたねと言われました。平成 7 年から、毎年の私の書の個展に出品を始めました。

 現在、古武道は阪神大震災で神戸から関東に移転したのもあって、自分で練習をしています。円心流は四段から準師範として他人に指導してもいい事になっています。私は現在八段で称号は教士です。日本画は岩絵の具を自由に使えるようになり、思いっきり色彩を使います。最初は麻紙にスケッチを描いてから制作していましたが、現在は戸外で原寸大のキャンバスに直接スケッチして、彩色できるアクリル絵の具も使います。そして書道は文学をテーマに、墨だけで色を感じさせる作品を書いています。こうして今の私があります。思い起こせば書家の酒井葩雪先生が 20 歳の頃聞いた話を、学生時代に話して下さったことがあります。ある時お寺の住職を訪問しましたが留守でした。帰ろうとした時、住職の奥様が「酒井さん、この頃書道はどうですか」と聞かれたというのです。当時は剣道と書道を熱心に稽古しておられ、特に剣道に力を入れていました。それで酒井先生は迂闊にも「剣道が忙しくてやっていません」と答えてしまいます。すると住職の奥様が酒井さんは書道をやっても剣道をやってもどうせモノにはなりませんねと言われたので、何故ですかと聞くと「書道をやっている時も剣道、剣道をやっている時も書道がでない人は、どうせ何をやってもものにならないのよね」と返事されたとか。

 これはどういう意味なのか、先生は当時その意味を教えてくれませんでしたが、今は、何となくわかるような気がします。

 既述のように、私の中で書道、古武道、日本画の不等辺三角形が正三角形になり、それが一体となって中央に収束し点となったと感じるようになったのは、5年くらい前からです。そのことが、酒井先生が伝えようとしてくれたことのように思うようになりました。

長岡美和子 -- プロフィール

長岡美和子
1945年富山県に生まれる
1964年書家故上田桑鳩先生、故酒井葩雪先生に師事
1968年近畿大学理工学部 数学物理学科 数学専攻卒業
1984年第1回個展(ギャラリーはりしん)神戸市 ※以後 10 回まで毎年個展
1990年個展 カーニュ市古城美術館(フランス) 書道と古武道神伝円心流居合術の型を演武
1991年個展 高岡文化ホールギャラリー(富山県)
1995年 第 11 回個展 滝不動スタジオ M(船橋市)
※以下毎年同地で個展、11 回展より日本画も発表
2003年個展 サイオリエンタルアートギャラリー(アメリカ・ラスべガス)
2011年墨イズム 1 北井画廊(東京)
49 回全展(上野の森美術館)
2012年 墨イズム 2 北井画廊(東京)
第 50 回記念全展(東京都美術館)
2013年 山梨県早川町赤沢書宿展
( 第 28 回国民文化祭山梨 2013 協賛事業 )
墨イズム 3 北井画廊(東京)
第 51 回全展(東京都美術館)

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