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2025.08.19

【最近の話題】「街の裸婦像は時代にそぐわない? 撤去の動き」を考える

8月18日付の読売新聞で、このようなニュースが配信された。

街の裸婦像は時代にそぐわない? 撤去の動き、各地で小学生「見ていて恥ずかしくなる」(読売新聞オンライン)

要約すると、このような話である。
「近年、街や公園に設置された裸婦像が公共の場にそぐわないとして、自治体による撤去が相次いでいる。これらの像は戦後、戦時中に撤去された軍人像の代わりに「平和の象徴」として全国で建てられた。しかし、今では「時代にそぐわない」「美術館に展示すべきだ」との意見が出ている。

香川県高松市中央公園では、1989年に地元ライオンズクラブから寄贈された少女二人の裸像が、学校の校外学習で訪れた小学生から「見ていて恥ずかしい」との声が上がった。市は価値観の変化を理由に、再整備工事に伴い裸像の撤去を決めている。一方、制作者である94歳の彫刻家・阿部誠一氏は「裸像はみずみずしい命そのものだ。園内に残すべきだ」として撤去に反対している。

亜細亜大学の高山陽子教授によると、日本では戦後、軍人像の代替として公共空間に裸婦像が数多く設置されたが、欧州やアジアの多くの国では裸婦像は美術館内や庭園に限られている。公共空間での設置例は日本独自の文化的背景によるものだ—とのこと。しかしすでに街の景観として受け入れられている彫像もあるため、慎重な検討が必要ではないか。

確かに今のご時世、積極的に女性のヌードを公共の場に展示するという考えは一般的ではない。
裸婦像は、女性を性的対象として見做されることにつながりうる作品であり、多くの女性がわざわざ見たいと思わない、できれば作らないでほしいと思うのは当然だ。
また、子どもたちにとって性的な事柄への不適切な関心を促しかねないという懸念や、多様な文化や価値観を持つ人々にとって不快感を与える可能性があるという意見もあるだろう。公共の芸術は、特定の価値観を押し付けるべきではないという規範があって然るべきである。

ただし高山教授の「欧州やアジアの多くの国では裸婦像は美術館内や庭園に限られている。公共空間での設置例は日本独自の文化的背景によるものだ」という意見は、果たして正しいのだろうか。
そもそも裸婦像がよろしくないという発想は、欧米の指標に基づくものである。中近東イスラム圏もダメだろうと思われる方もいるかもしれないが、それ以前に偶像崇拝が禁止されているので、裸体と芸術表現自体が結びついていない。

では果たして欧米で裸体を公共の場に設置することはアウトということで結論が出ているのだろうか。
過去の主な論争を振り返ってみよう。

欧米における、公共の場で設置された裸体像を巡る主な論争

19世紀後半 (イギリス、ヴィクトリア朝)

  • 作品: 『アルバニー公爵夫人ヘレンの像』
  • 場所: ロンドン
  • 論争: 1883年に制作されたこの像は、本来、故ヘレン王女を追悼するものだった。しかし芸術家が裸婦として描こうとしたことにヴィクトリア朝社会の強い道徳観から激しい反対が起こり、最終的に像は服を着た姿となった。この一件は、公共の芸術における「裸体」の扱いが、いかに厳格に審査されていたかを示している。

1926年 (アメリカ、フィラデルフィア)

  • 作品: 『プロメテウス』
  • 場所: フィラデルフィア美術館前
  • 論争: 1926年に設置されたポール・マンシップの作品は、裸体像であることから、地元住民の一部や保守的な団体から「わいせつである」との批判を受けた。新聞でもこの問題が取り上げられたものの、美術館が芸術的価値を主張した結果、撤去は見送られた。

1960年代 (イタリア、ローマ)

  • 作品: 『真実』
  • 場所: ローマの公共広場
  • 論争: 1960年代に設置されたこの裸婦像は、その時代における性の解放とアートの表現を巡る議論を引き起こした。特にカトリック教会が強い影響力を持つローマにおいて、伝統的な価値観との衝突を起こすこととなった。

1980年代 (アメリカ、サンフランシスコ)

  • 作品: 『ファウンテン・オブ・ユース(若者の泉)』
  • 場所: サンフランシスコ、ゴールデン・ゲート・パーク
  • 論争: 1980年代に設置された裸体の男性と女性の彫刻は、その露骨さから批判を受け、撤去を求める声が上がった。この論争は、芸術の自由と公共空間の適性をめぐる現代的な議論として、しばしば引き合いに出さレることになる。

2002年 ヘラ像の撤去 (アメリカ、サンフランシスコ)

  • 作品: 『ヘラ』
  • 場所: サンフランシスコ市役所
  • 論争: 2002年、ギリシャ神話の女神ヘラを裸体で表現したこの像が、性的な対象として不適切であるとの批判を受けている。批判は、特に女性団体やフェミニストグループから起こり、市役所という公共性の高い場所に置くべきではないとの声が上がり、最終的に撤去された。この論争は、芸術とジェンダー平等の関係性をめぐる現代的な議論として注目された。

2010年代 ポンペイ遺跡の現代アート (イタリア、ポンペイ)

  • 作品: 現代アーティストによる複数の裸体彫刻
  • 場所: ポンペイ遺跡内
  • 論争: 2010年代に、ポンペイ遺跡に現代アーティストの裸体彫刻を展示する試みがあったが、古代ローマの遺跡という歴史的文脈にそぐわない、また「猥褻である」として強い批判を受ける。地元住民やカトリック教会などから反発が起こり、一部の作品は撤去されることになった。

2015年 裸体像の撤去と再設置 (フランス、ロワール)

  • 作品: 『裸の少年』
  • 場所: ロワール地方の小都市
  • 論争: 2015年、第二次世界大戦後に平和の象徴として設置された、裸の少年像が「猥褻」であるとの理由で、市長命令により撤去。これに対し、多くの芸術家や市民が抗議活動を行い、表現の自由の侵害だと強く非難した。最終的に、世論の反発を受けて像は元の場所に再設置された。

現在進行形なのは日本だけではない

19世紀から現代までざっと振り返ってみた結果だが、いかがだろうか?

直近でもわずか10年前の話であり、現在でもこのような論争は絶えず燻り続けている。
要は、欧米でも裸婦像を公共に設置することへの是非については、今も結論が出ていないのだ。
必ずしも日本だけが時代遅れというわけではないということは、よく知っておくべきだろう。

一番大切なのは、現在そこに生きる人々がどう考えるかである。
裸体像を設置する、もしくはされている地域の人々の中で不快に感じる方が一定数いるのであれば撤去すべしと考えるのが自然な流れと言える。一方ですでにその地域でその裸体像が芸術作品として好意的に受け入れられているのであれば、その考えを尊重すべきだろう。

今回このようなニュースが大きく注目を集めているのは、時代がこの問題に必要性を感じているからである。
いずれ性的対象として想起される裸体像は公共の場から減少していくことになっていくだろう。
ただしその周辺で生きる人々を置き去りにして、安易に事実と異なる一般論を導入して結論を急ぐべきではない。