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2021.05.21

「最後の晩餐」を描いた7人の画家

今回のテーマは『最後の晩餐』です。その名を聞くとほとんどの方がレオナルド・ダ・ヴィンチを思い浮かべるのではないでしょうか。それほどまでにダ・ヴィンチの『最後の晩餐』は広く知られており、おそらく美術史上最も有名な作品の一つと言えるでしょう。ところが『最後の晩餐』を描いたのは、ダ・ヴィンチだけではありません。

というのも『最後の晩餐』は、美術史上広く描かれたテーマの一つであり、有名無名の様々な画家たちが題材としていたのです。それらを見比べてみると、これまでとは違う見方に出会えます。

そこで今回は、ダ・ヴィンチを含む7人の芸術家たちの表現した『最後の晩餐』をご紹介するとともに、アーティスト毎にどのような違いが生まれたのかを見ていきたいと思います。

最後の晩餐とは

そもそも「最後の晩餐」とは新約聖書の中に記された一場面であり、処刑前日にイエス・キリストが、12人の弟子たちとともに夕食をとった出来事のことです。最後という言葉がつけられているのはこの晩餐の後、イエスは磔となり一度死ぬことを意味しているためです。

新約聖書に記載されているストーリーを簡単にまとめると以下の通りです。

ある日、イエス・キリストは12人の弟子たちとともに食事をしていました。すると突然イエスは12人の弟子たちに「あなたがたのうちの1人が、私を裏切ろうとしている。」と言いました。あたりが騒然となる中、ペテロがヨハネにそれが誰なのかを尋ねて欲しいと言い、ヨハネはイエスに尋ねました。そこでイエスは「わたしと共に鉢に手を浸した者が、わたしを裏切る」と答えました。その時、鉢の中に手を浸していたのがイエスとユダだったため、裏切り者がユダであることが明るみになり、ユダはその場を飛び出して行きました。

その後、イエスはパンを取って、賛美の祈りを捧げてパンを割いて弟子たちに与えながら「皆、これを取って食べなさい。これはあなた方のために渡されるわたしの体だ。」と言いました。また、杯(さかずき)をとって感謝の祈りを捧げると、「皆、これを受けて飲みなさい。これはわたしの血の杯、あなたがたと多くの人のために流されて、罪のゆるしとなる。新しい永遠の契約の血(である)。」と弟子たちに与えて言いました。

以上が最後の晩餐で描かれている聖書の中の話です。

イエスはユダの裏切りによって磔となり、一度は命を落とすこととなります。そして三日後にイエスは復活を遂げるというように、聖書の物語は展開されていきます。

『最後の晩餐』と題した作品は数多く残されていますが、ほとんどの場合、イエスが「この中に裏切り者が現れる」と告げ、あたりが騒然となる様子と、ユダの裏切りが明るみになる瞬間が描かれています。

それでは、時代によって異なる『最後の晩餐』を見ていきたいと思います。

レオナルド・ダ・ヴィンチ 1495年

レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」1495年

『最後の晩餐』=レオナルド・ダ・ヴィンチというように、おそらく数々の芸術家が描いた『最後の晩餐』の中でも傑作中の傑作と言うことができるでしょう。そう感じられるほどに、ダ・ヴィンチの本作に込めた意図と表現の工夫は、目を見張るものがあります。

本作は1495年~1498年にかけてサンタ・マリア・デッレ・グラッツイエ修道院の食堂の壁に描かれ、幾度も修復が施され、現在もその形を保っています。

上述したように『最後の晩餐』という主題は伝統的に多くの画家に描かれてきました。しかし、ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』はそれまでに描かれた同様の主題とは一線を画すものだったといいます。その要因は数多くありますが、ここでは「精密な人物描写」と「厳密なシンメトリー」を取り上げて、レオナルドの偉業を紹介したいと思います。

まず【精密な人物描写】についてですが、ダ・ヴィンチの偉業は精密に人物描写によって『最後の晩餐』の心理さえも描き出したことにあります。

レオナルド以前の『最後の晩餐』では、いかに聖書の中のストーリーを伝えるかが重要であり、ほとんどの場合細かな人物描写されておらず、あからさまな人物描写によって表現されていました。それは後述させていただくアンドレア・デル・カスターニョの作品と比較すると一目瞭然です。ダ・ヴィンチは恐ろしいほどの完璧主義として知られている人物で、これまで描かれてきた『最後の晩餐』とは一切異なり、一人一人の人物を精密なまでに描写する作品を描き上げました。。その結果、イエスが「あなたがたのうちの1人が、私を裏切ろうとしている」といった後の弟子たちの困惑を見事に表現することに成功したのです。

次に【厳密なシンメトリー】においても、ダ・ヴィンチならではの表現がなされています。

本作が描かれたのは、ルネサンスと呼ばれる時代です。この時代の美術は「自然主義的な写実性」という見たままに描くことが重要視され、左右対称(シンメトリー)こそ美しいとされていました。

ダ・ヴィンチは、これまでどの芸術家も成しえなかった自然なシンメトリーを、『最後の晩餐』の中に描いたことにあります。

改めて作品を見てみると、本作の中に描かれた人物たちは3人ずつのグループに分けられ、キリストを中心とする明快な一点透視図法によって明瞭な左右対称の構図となっています。このシンメトリーは、ダ・ヴィンチ以前に描かれてきたユダだけが仲間外れという不自然な構図を解消することとなりました。

確かに、イエスが「この中に私を裏切る者がいる」と言い、あたりが騒然となる中、ユダだけが違う場所に座っていればイエスが裏切り者の話をした瞬間に裏切り者はユダだとわかってしまいます。そこで本作ではイエスと横並びにする代わりに、ユダがイエスと同じ鉢に手を伸ばしているという動作を描くことで、誰がユダなのかを表現したのです。

レオナルド・ダ・ヴィンチ 最後の晩餐 一部抜粋 左:ユダ 右:イエス

 

レオナルドは【精密な心理描写】と取り入れることで、【厳密なシンメトリー】を保ちつつ、自然かつ崇高な『最後の晩餐』を描くことに成功したのです。

アンドレア・デル・カスターニョ 1447-1450

アンドレア・デル・カスターニョ 「最後の晩餐」 1447-1450

本作はアンドレア・デル・カスターニョによって描かれた『最後の晩餐』です。本作は多くの芸術家によって描かれた『最後の晩餐』の中でも最初期の作品に位置し、ダ・ヴィンチ版は描かれる50年前に製作されています。アンドレア・デル・カスターニョは15世紀に活躍したイタリアのフィレンツェ派画家です。本作はフィレンツェにあるサンタポッローニア修道院の食堂に描かれています。

カスターニョ版は、最初期の『最後の晩餐』の構図を決定づけた作品と言われる作品と言われています。

その構図とはイエスが中心に描かれていること、イエスと横並びに11人の弟子たちが描かれていること、裏切り者のユダはイエスの真向かいに描かれていること、そしてもう一人の重要人物ヨハネ(本作ではイエスの右隣)がイエスにもたれかかっていることです。

ユダが真向かいに位置しているのは、ユダが裏切り者だとわかりやすく明確に表現するためであり、ヨハネがキリストの方にもたれかかっているのはイエスがヨハネに「わたしと共に鉢に手を浸した者が、わたしを裏切る」と耳打ちする場面が描かれているからです。

もともと聖書の中の一場面を絵として描く、いわゆるイコンが生まれた理由は文字の読み書きができない人たちにも宗教を普及させるためでした。そういった意味では、多少絵の中に不自然な部分があったとしても、何よりも重要されるべきは聖書の一場面をわかってもらうことだったのではないかと推測されます。

本作はダ・ヴィンチの『最後の晩餐』と比較してしまうと、作品の中の意図が見えすぎるため、単調なように見えてしまうかもしれません。しかし聖書の場面を伝える上では、大きな意味を持つ作品と言えるでしょう。

ルーカス・クラナッハ  1547年

ルーカス・クラナッハ  「最後の晩餐」1547

本作は、16世紀ドイツの画家ルーカス・クラナッハ(父)と息子のルーカス・クラナッハ(子)が制作した『最後の晩餐』です。

上掲の作品はヴィッテンベルク市教会の祭壇画の一部として描かれた作品で、ルーカス・クラナッハ(子)によって描かれた『最後の晩餐』は本作以外にも存在します。

クラナッハ版は円卓を囲むように描かれており、12人の弟子たちの位置付けも明確に表現されています。キリストは画面の一番左に座り、ヨハネはイエスにもたれかり、ユダはキリストの右隣に座りイエスの顔を凝視しています。

ダ・ヴィンチとルーカス・クラナッハの作品で大きく異なるのが、ユダの描き方です。イエスの右隣の人物は背を向けているせいで鉢に手を入れているかがわかりにくく、一見するとユダと断定できないように思われます。しかし、その左手には小さな袋が握られており、中にはユダがイエスを裏切って手に入れた銀貨30枚が入っているのです。実はダ・ヴィンチの『最後の晩餐』でも、ユダの右手付近に小さな袋が描かれています。

このような宗教画には、〇〇を持っていたら誰々、□□という行動をとっているから誰々というように、キャラクターを決定づける要素が描かれます。本作はそのキャラクターが明確に描かれている優れた例と言うことができるでしょう。

ルーベンス 1631-1632年

 

ルーベンス 「最後の晩餐」1631-1632

バロックを代表するフランドル画家ピーテル・パウル・ルーベンスも、『最後の晩餐』を描いています。本作はおそらくダ・ヴィンチ版に次いで有名かと思われます。本作は聖ロンバウツ教会の祭壇画の一部として描かれたもので、ダ・ヴィンチ版にかなりの影響を受けた作品だと言われています。それを示すものとして、ルーベンスが模写したダ・ヴィンチの『最後の晩餐』のエッチングが存在しています。

ルーベンスは本作を通して、ダ・ヴィンチよりもさら高度な登場人物の感情表現を試みました。これらの登場人物の中でも一際注目を引くのが、食卓から目をそむけ、こちらを見ている人物の表情です。本作ではこの人物こそユダとして描かれています。

「あなたがたのうちの1人が、私を裏切ろうとしている。」とイエスが弟子たちに告げ、あたりが騒然となる中、ユダの不安に満ちた姿が描かれています。この人物描写だけでもユダと特定できてしまいますが、この人物がユダということを決定づける要素として、側に描かれている犬が挙げられます。これ関しては諸説ありますが、この犬はユダの飼い犬であり、貪欲や邪悪を表象しているのではないかと考えられています。

シモン・フョードコフ 1685年

シモン・フョードコフ 「最後の晩餐」1685

本作は、1685年シモン・フョードコフによって描かれた『最後の晩餐』です。シモン・フョードコフは、17世紀のロシアのイコン画家の一人で、ロシア正教会の包括的な改革に関与した人物と言われております。

彼の人生についてはほとんど知られていないとされていますが、本作はモスクワのセルギエフポサド州立歴史美術館に収蔵されています。上掲の『最後の晩餐』は構図やキャラクター性が明瞭に描かれており、特に裏切り者であるユダは一眼でわかるよう表現がなされています。

こちらも円卓を囲むように描かれていて、イエスの真向かいに座るユダは、イエスと共に鉢に手をつけられる位置に描かれています。そして上述した銀貨の入った袋を胸の前に持っています。裏切り者であることが明らかとなり、ユダはイエスに背を向けています。そして本作で最も注目していただきたい点が光輪です。イエス、他の弟子たちにははっきりと描かれていますが、ユダの頭にだけは光輪がありません。

この光輪の表現も、ユダであることを証明するものとして代表的な象徴です。本作では光輪を描かないことでユダということを表現しましたが、黒い光輪を描くことでユダを表現した芸術家も存在しています。

サルバドール・ダリ 1955

サリバドール・ダリ 「最後の晩餐」1955

 

シュルレアリスムのフロントマン、サルバドール・ダリも、『最後の晩餐』を描いています。これはレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』を再構成して描いたと言われており、レオナルドの作品と比較してみると飛躍した表現を随所に見ることができる作品です。

屋内と屋外の線引きが曖昧な空間、従来の最後の晩餐とは異なり目を伏せる弟子たち、宙に浮く透けた体はダリの『最後の晩餐』にのみ見られるものです。本作のようにシュルレアリスムと伝統的なキリスト教の世界とを融合させるような表現は、ダリが好んで行ったものとして広く知られています。これらの表現は1940年代後半から顕著に見られるようになったものであり、その背景にはスペイン内戦と第二次世界大戦の壊滅的な影響、古典芸術への関心、心理学の進展などがあったと言われています。

とくに本作が描かれた頃、ダリは熱心なカトリック教徒であり、それを示すように宗教にまつわる作品を数多く制作した時期でもあります。

ダリ曰く、「本作では(キリスト教にとって重要な数字である)“12”と天の交わりに基づいて光度とピタゴラスの瞬間の最大値を実現したかった」

と語ったと言います。ここでは細部の解説は省きますが、ダリが『最後の晩餐』で試みたのは食事シーンの再現ではなく、儀式によって現れる象徴的な表現です。だからこそ他の芸術家が描いた『最後の晩餐』とは異なり、弟子たちはキリスト以外のその他として描かれ、復活を果たすイエスと最後の晩餐のシーンが同時的に描かれています。

本作は「天国は、信仰を持つ人間の胸の中にこそあるのだ。」というダリの考えを具体化した作品となっています。

アンディ・ウォーホル 1986年

アンディ・ウォーホル 「最後の晩餐」1986

本作はアンディ・ウォーホルの記念碑的な作品の一つとして知られており、ウォーホルが制作した「最後の晩餐」の100近くあるパターンの中の一つです。アンディ・ウォーホルは言わずと知れたポップアートの旗手として知られ、芸術としての枠組みを揺るがすような作品を数多く発表した人物です。ウォーホルが制作した『最後の晩餐』は上述した6名の画家たちとは異なり、ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』にアレンジを加えた複製と言えるかも知れません。

ウォーホルにとって『最後の晩餐』は最晩年の数ヶ月を投じた重要なテーマであり、100以上のパターンの中には上記の作品のように全体を映した作品もあれば、向きや色が異なるものや個々の人物を切り取ったもの、商業デザインのパッケージを絵の上に刷った作品もあります。

このようなウォーホルの取り組みは、彼が『ブリロボックス』や『キャンベルスープ』で行ったことと類似しており、神聖なものと俗悪なもの、高度な芸術と商業デザインといったように相反するもの入れ込むことで、これまでの芸術の破壊と新しい芸術の表現を行なったわけです。

自身の宗教観を持っているような人にとって、上記の作品は冒涜と感じられる作品であるのは簡単に想像できます。しかしウォーホルの狙いはまさにそこにあり、芸術と同様に宗教観に対しても疑問を呈する作品だったのだと考えられます。ウォーホル自身が同性愛者だったため、古い慣習では見出せない独自のシンボルを作品の中に求めたのかも知れません。

 

以上が『最後の晩餐』を描いた7人の画家の解説となります。

上掲の作品以外にも『最後の晩餐』は多くの芸術家によって描かれています。本記事ではたった7点の紹介でしたが『最後の晩餐』に興味を持っていただいた方はご自身で他の作品を調べてみることをお勧めいたします。

 

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