2024.05.29
【現地レポート】能登半島地震から4ヶ月…復興の今
2024年1月1日、石川県の能登半島をマグニチュード7.6の大きな地震が襲いました。気象庁の発表によれば、この地震はマグニチュード7.6を記録するなど、内陸部で発生する地震としては日本でも稀な大きさの地震であることが明らかになっています。
震源地となった石川県輪島市や羽咋郡志賀町をはじめ能登半島全域の街には今も大量の瓦礫が残される一方で、市民たちも新たな生活を切り拓くべく立ち上がり始めました。
本稿では石川県出身の弊社代表の安広が現地輪島を訪問した際のリポートをご紹介いたします。
気象庁より『令和6年能登半島地震』と正式名称が発表された震災から約4ヶ月が経過し、被害規模の全容が明らかとなってきました。石川県の災害対策本部会議によれば、住宅被害は8万1242棟、うち「全壊」はおよそ1割にあたる8221棟、「半壊」はおよそ2割にあたる1万6584棟でした。自治体別ではもっとも被害の多い輪島市が1万4816棟で、七尾市が1万4157棟と、2市でおよそ3割強を占めます。
私たちは今回、もっとも被害の大きかった震源地の輪島市に向かいました。
観光スポットとしても有名な朝市通りや、門前町など、輪島市全域で現在も倒壊した建物など瓦礫が至る所に残されています。県外ボランティアなどによる撤去作業も途切れることなく続けられているものの、震災前のような状態に戻るまでにはまだまだ時間がかかりそうです。輪島市の朝市も、再開は早くとも2026年1月ごろの見込みとのこと。なんとも途方もない時間です。
仮設住宅の区域を訪れると、多くの市民が暮らしていらっしゃいました。みなさんすでにここでの生活に慣れ、震災当初のような暗い顔も見られません。県外からも多くの支援が寄せられているようです。取材時には福岡県須恵町からのトイレカーが停車している様子も目にしましたが、非常にきれいで使用者の視点で考えられた立派な設備でした。
少し郊外に足を運ぶと、水田地帯も見ることができました。震災で崩れた箇所も多いですが、被害を免れたところでは水が張られ、すでに田植えも行われていました。さらに足を伸ばして、日本有数の棚田地帯『白米千枚田(しろよね せんまいだ)』に向かうと、こちらでも見事に田植えが完了した美しい景色を拝見することができました。
瓦礫がそのままになっている中心地、人々が暮らす仮設住宅、田植えが完了した水田地帯。三者三様ですが、いずれも被災地の現在の姿であることに変わりはありません。問題は山積みなものの、すでにみなさんが新しく動き出しているという事実は、何よりも大きなことではないかと思います。
今年9月、東京タワーでは展覧会が開催予定です。ここでは被災地への募金を行う予定ですが、それ以外にも被災地の今を伝える活動など、自分たちにできる形で支援を行っていきたいと思います。(取材:2024年5月20日/担当・安広洋司)