2023.04.21
「受胎告知」を描いた14人の画家【ダ・ヴィンチやサイゼリヤだけじゃない!】
今回のテーマは『受胎告知』です。
『受胎告知』といえばレオナルド・ダ・ヴィンチの作品、もしくは“サイゼリヤの壁にある絵”という方も多いのではないでしょうか? しかし美術史上を振り返ると実に多くの著名な画家が描いています。というのも『受胎告知』は聖書における極めて重要な場面の一つであり、キリスト教を広めるために多くの聖職者および関係者が1000年以上にわたって発注し続けてきた歴史があるのです。そのため画家たちは実に多様な場所で様々な技法と解釈で独自の『受胎告知』を描いてきました。それらを見比べてみると、これまでとは違う見方に出会えます。
そこで今回は、ダ・ヴィンチを含む14人の芸術家たちの表現した『受胎告知』をご紹介するとともに、アーティスト毎にどのような違いが生まれたのかを見ていきたいと思います。
Contents
- 1 『受胎告知』とは
- 1.1 1. ドゥッチョ Duccio「受胎告知」《マエスタ(荘厳の聖母)》部分
- 1.2 2. ジオット Giotto di Bondone 「受胎告知」スクロヴェーニ礼拝堂
- 1.3 3. シモーネ・マルティーニ Simone Martini『聖女マルガリータと聖アンサヌスのいる受胎告知』ウフィツィ美術館 1333年頃
- 1.4 4. ヤン・ファン・エイク Jan van Eyck『受胎告知』
- 1.5 5. フラ・アンジェリコ Fra’ Angelico『受胎告知』
- 1.6 6. レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci『受胎告知』
- 1.7 7. サンドロ・ボッティチェリ Sandro Botticelli『受胎告知』
- 1.8 8. ジョルジョ・ヴァザーリ Giorgio Vasari『受胎告知』
- 1.9 9. エル・グレコ El GRECO『受胎告知』
- 1.10 10. カラヴァッジオ Caravaggio『受胎告知』
- 1.11 11. フランシスコ・ゴヤ Francisco José de Goya y Lucientes『受胎告知』
- 1.12 12. ロセッティ Dante Gabriel Rossetti『Ecce Ancilla Domini主の侍女を見よ』
- 1.13 13. ルネ・マグリット René François Ghislain Magritte『受胎告知』
- 1.14 14. フェルナンド・レジェ Fernand Leger『受胎告知』
- 1.15 終わりに
『受胎告知』とは
聖書には4つの福音書が存在し、『受胎告知』の記述があるのは『マタイによる福音書』と『ルカによる福音書』の2つです。しかし両者の記述には差異があり、『マタイによる福音書』では天使がキリストの父ヨセフの夢に現れ、処女マリアはすでに受胎の事実をすでに知っていたと書かれています。一方『ルカによる福音書』では、ヨセフには何も知らされることはなく、処女マリアの前に大天使ガブリエルが現れ、受胎の事実を告げたことを記しています。『受胎告知』と言えばたいていの場合は『ルカによる福音書』の記述を示しており、作品としても『マタイによる福音書』の場面が描かれたことはほぼゼロと言えるでしょう。
処女マリアは、キリスト教の最大教派であるカトリックやロシア正教など多くの教派で崇敬や転達の祈りの対象となっています。そのため『受胎告知』という処女マリアが自らの運命を知るエピソードはさまざまな教派で重要視され、聖職者や権力者たちは絵画や装飾として盛んに発注したのです。ルネサンス期の有力なアトリエの中で『受胎告知』を受注しなかった工房は無かったと言っても過言ではありません。
それでは、年代順に著名な画家たちの描いた『受胎告知』を見ていきましょう。
1. ドゥッチョ Duccio「受胎告知」《マエスタ(荘厳の聖母)》部分
後世の規範になったゴシック様式の名画
ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ(Duccio di Buoninsegna、1255/1260年頃 – 1319年頃)は、ゴシック期のイタリアの画家で、13世紀末〜14世紀初頭にイタリアのシエナで活動していました。その様式はビザンティン絵画を基盤としながらも、人間描写や空間把握は現実感を増している。チマブーエ、ジョットとともにイタリアをビザンティン様式からルネサンスの橋渡しを務め、西洋絵画史上重要な画家の一人に数えられます。
本作はシエナ大聖堂の祭壇画『マエスタ(荘厳の聖母)』(1308 – 1311年)の裾絵(プレデッラ)の一つとして制作されました。この祭壇画はドゥッチョの現存する真作2点のうちの一つですが、販売のためバラバラに分割して売却されてしまい、現在もイタリア国内外で別々に所有されています。
作品はビザンティン様式の力強く形式的な描写の影響を残しつつも、処女マリアの緊張感ある表情や服のしわの細かな描写など自然で人間的な表現が用いられており、ルネサンスへの橋渡し役を担ったドゥッチョらしい作風と言えるでしょう。
またマリアの後頭部には聖人のしるしとなる光輪(ニンブス)が描かれています。これは聖書の話を説く際に、誰が見ても彼女が重要な人物であることをわかるようにするためのルールなのです。さらに彼女の頭上には金色の線が注ぎ、その中央には小さな鳩が翼を広げています。これによって処女マリアは「聖霊によって身ごもる」ことを示しているのです。
2. ジオット Giotto di Bondone 「受胎告知」スクロヴェーニ礼拝堂
人間を表現した天才ジョットの代表作
ジョット・ディ・ボンドーネ(伊: Giotto di Bondone、1267年頃-1337年1月8日)は、中世後期のイタリア人画家・建築家です。フィレンツェを中心に活動し、主にジョット(ジオット)と略して呼ばれます。その絵画様式は後期ゴシックに分類され、それまで主流だったビザンティン様式を打破してイタリア・ルネサンスへの先鞭を付けた偉大な芸術家と見なされています。
本作はジョットの代表作「スクロヴェーニ礼拝堂の装飾画」(イタリア・パドバ)の一部として制作され、受胎告知は礼拝堂中央の凱旋門の上段に処女マリアと大天使が左右に分けて描かれています。最上段には受胎告知の天使を使わそうとする神の姿が色彩豊かに描かれていますが、処女マリアが「聖霊によって身ごもる」ことの重要性を民衆に明確に伝えるための演出です。当時は世界的に識字率が非常に低く、15世紀までヨーロッパ各国で20%を上回る国はありませんでした。そのため教会では絵図による布教が必要不可欠であり、その描写にもわかりやすさを求めていたのです。同様に、マリアのポージングや天使の羽の描写にも、同じく聖書の教えを絵で伝えるための配慮と考えられます。
しかしマリアの緊張と困惑の色が浮かぶ表情や、ガブリエルの翳した手の細かな陰影など、一見しただけではわからない部分まで細やかに描きこまれているのがわかるでしょうか? これはジョットが単純に聖書の教えを描くだけでなく、人間らしさを表現しようとしていたからと考えられます。当時のイタリア・フィレンツェではビザンティン様式からゴシック様式へと美術のトレンドが移行する過渡期でしたが、すでにジョットはその先のルネサンスを見越していました。そのためジョットの作風は「プレルネサンス」と呼ばれており、その先見性からもイタリア美術界で特別な存在と見なされているのです。
3. シモーネ・マルティーニ Simone Martini『聖女マルガリータと聖アンサヌスのいる受胎告知』ウフィツィ美術館 1333年頃
シエナ派らしいゴシック絵画の華やかな作品
シモーネ・マルティーニ(Simone Martini、1284年頃 – 1344年)は、ゴシック期のイタリアの画家で、当時のシエナ派の代表として知られます。世代的には、フィレンツェのチマブーエや、同じくシエナで活躍したドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャの後継者にあたります。
シモーネは、ナポリやアッシジでも制作し、1340年頃にはイタリアを離れて、当時教皇庁のあった南フランスのアヴィニョンへ移り、教皇庁宮殿などでも制作を請け負うなど、国内外で幅広く活躍しました。
ウフィツィ美術館にある代表作《聖女マルガリータと聖アンサヌスのいる受胎告知》は金色の背景が眩い作品ですが、これは伝統的なビザンティン様式の特徴の一つとなっています。
一方で人物は現実的な三次元空間のなかに存在するように表現され、聖母や天使の着衣や肉体表現にも自然さを取り入れるなど、ゴシック様式の特徴がしっかりと表された作品と言えるでしょう。
しかしほぼ同世代にあたるジョットがすでにルネサンスの先駆けとなる画風に着手していたのに対し、マルティーニは生涯にわたってゴシック様式を追い続けました。これは当時のイタリアで都市国家が乱立していたため、近隣の国々との往来が簡単ではなかったことが大きな影響をもたらしています。とくにジョットの住むフィレンツェとマルティーニが住むシエナは激しく対立しており、芸術家同士でも互いをライバル視していました。ライバルから学ぶなどプライドが許さなかったのではないでしょうか。
4. ヤン・ファン・エイク Jan van Eyck『受胎告知』
フランドルの天才画家による自然に忠実な超絶技巧の油彩画
ヤン・ファン・エイク(1390年-1441年7月9日)は、ブルージュで活動したフランドル地方の画家です。時代を先取りしたかのような表現力の豊かさと、自ら研究・開発した技術力の高さから、“初期ネーデルラント絵画の革新者の1人”、“初期北方ルネサンス芸術の最も重要な画家の1人”などと呼ばれます。さらに近年ではその功績がレオナルド・ダ・ヴィンチと並び称されるなど、その評価は高まる一方です。
アメリカ・ワシントンDCの国立美術館に収蔵されている『受胎告知』を見れば、ファン・エイクの評価の高さをお分かりいただけるでしょう。処女マリアと天使ガブリエルの細やかな表情はもちろん、衣服のシワどころか質感まで表現されているのです。それだけではありません。二人の周囲を彩る礼拝堂の背景の描き込みは、まさに超絶技巧と呼ぶにふさわしい緻密ぶりです。床のタイルには旧約聖書の『ダビデとゴリアテの決闘』などが描かれており、礼拝堂最上段のステンドグラスには同じく旧約聖書の神ヤハウェの御姿がはっきりとわかるように表現されています。
美術史研究者の小林典子氏はファン・エイクについて“光と空気の画家”とする著作(『ヤン・ファン・エイク 光と空気の画家』大阪大学出版会)を執筆していますが、本作においてもその光に対する追求ぶりが各所に散りばめられています。処女マリアの後方にあるガラス窓は凹凸にあわせて一つ一つに異なる屈折が描きこまれ、宝石には微小なものにまで光の反射が表現されているのです。
これほど光について仔細な描写を追求したことには、ファン・エイクたち初期フランドル画家たちが自然そのものを正確に表現することに重きを置いたためであり、イタリアのルネサンスが古代ギリシャ・ローマ時代の自然さ・人間性を求めたのとは一線を画すものだったわけです。さらにファン・エイクは、初めて実用可能な油彩画の技法を確立した画家としても知られます。彼の緻密な描写は、その革新的な絵画技術無くしては成立しなかったでしょう。
しかしヤン・ファン・エイクについては当時の文献や資料が少なく、今も謎多き画家として多くの研究者たちを悩ませています。それは本作も同様で、今後研究が進むことで新たな事実が発覚する日もそう遠くはないでしょう。
5. フラ・アンジェリコ Fra’ Angelico『受胎告知』
アダムとイブの楽園追放を取り入れ、受胎告知の重要性を表現
フラ・アンジェリコまたはベアート・アンジェリコ(伊: Fra’ Angelico / Beato Angelico、1390年 / 1395年頃[1] – 1455年2月18日)は、15世紀前半のフィレンツェを代表する画家で、本名はグイード・ディ・ピエトロ (Guido di Pietro) と言います。フラ・アンジェリコは「修道士アンジェリコ」を意味する通称であり、「アンジェリコ」は直訳すると「天使のような人物」となります。これは彼が実際に敬虔なカトリックの修道士であり、神の教えを丁寧に表現した宗教的モチーフの作品が極めて高かったことに由来するものです。ちなみにもう一つの名前「ベアート・アンジェリコ」とは「福者※アンジェリコ」を意味しますが、生前彼が福者に認定されたことはありません。おそらく福者と呼ばれるに値する人物として評価されていたためと考えられます(実際、1982年にローマ教皇パウロ2世によって福者に認定されています)。
上記のとおりアンジェリコは宗教モチーフの作品で多くの傑作を残しており、とくに「受胎告知」は代表作と呼ばれる作品が複数現存します。ここに紹介するプラド美術館所蔵バージョンは金箔を多く使用するなど、他の代表作と比べ華やかな作品となっているのが特徴です。また二人のいる柱廊内部は奥の部屋まで統一された遠近法で描き込まれ、ジョットによるプレルネサンスの影響を見ることができます。
一方、この作品にはこれまでの「受胎告知」とは異なり、画面左にアダムとイブの楽園追放の場面が追加されています。画面右側の処女マリアとは対照的にも見えるこの構図は、聖書のローマ人への手紙にある「アダムによってこの世界に罪が入り、イエス・キリストによって罪からの解放がもたらされる」という言葉を表したものです。このような聖書の一節を折り込む工夫ができるのも、神の教えに対して考えの深いアンジェリコならではと言えるかもしれません。
ちなみに、最初に語った“サイゼリヤの絵”を描いたのも、フラ・アンジェリコです。
よく似ていますが、画面左に楽園追放の場面が入っていません。
6. レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci『受胎告知』
「受胎告知」といえばこれ。限りなく自然に近づこうとした若きダ・ヴィンチの挑戦
レオナルド・ダ・ヴィンチ(伊: Leonardo da Vinci、イタリア語発音: [leoˈnardo da ˈvintʃi] it-Leonardo di ser Piero da Vinci.ogg 発音[ヘルプ/ファイル])1452年4月15日 – 1519年5月2日(ユリウス暦))は、ルネサンス期を代表する芸術家です。
ダ・ヴィンチの説明は不要かもしれません。フィレンツェ生まれのこの天才は、現存するすべての作品が傑作と称賛され、『モナリザ』は世界最高の名画として誰も疑うことはないでしょう。その他にも物理学・音楽・解剖学・地質学その他諸々、あらゆる分野で顕著な業績を記録しました。
『受胎告知』も、彼だけの作品と信じている人が多いのではないでしょうか。しかしこの作品は師匠ヴェロッキオとの合作で、厳密には彼の作品と言い切れないかもしれません。
本作を描いた当時のダヴィンチは20歳前後、師匠ヴェロッキオの工房で独立の準備を進めていた頃と考えられます。現在でこそダ・ヴィンチの完成している絵画としては最初期の作品と見なされていますが、かつては師匠とドメニコ・ギルランダイオなど別の画家の合作と考えられてきました。しかしその後の研究が進むに連れ、ダ・ヴィンチによるスケッチが多数発見され、本作を描くために彼が様々な準備をしていることが明らかになりました。
実際、『受胎告知』にはダ・ヴィンチらしさが随所に見られます。処女マリアとガブリエルなど手前の描写は鮮明で精緻な描写で表現し、遠方の背景はぼやけて見えるようスフマート技法を用いるなど、人間の視覚をよく研究していることがよくわかります。また先人達の作品で用いられてきた『受胎告知』の要素がいくつも取り除かれているのも大きな特徴です。懐妊を表す精霊の光やそれに付随する白鳩の姿はなく、神々しさを演出する金色の画材も使用されていません。さらに二人のポージングもそれほど大仰しさがなく、マリアは天使が現れたにもかかわらず左手を少し前に出しているだけです。これは神の母たる役割に服従するのではなく、一人の女性として神の顕現に対する人間の役割を受け入れる決断を果たしたことを意味します。
一方で本作には、ダ・ヴィンチならではの解釈が込められています。まず処女マリアが本を載せる大理石のテーブル(講壇)ですが、一般階級の女性が読書するには立派すぎる感が否めません。しかしこれは石棺にゆりかごを組み合わせた独自の造形で、ここにキリストの誕生と死が象徴されているのです。またガブリエルの足元に広がる花々は処女マリアの純潔と無垢、愛と喪の感情を表しています。非現実的な表現を取り入れなくとも十分に処女マリアへの敬意と神への祈りを表現できるというダ・ヴィンチの取り組みと言えるでしょう。
7. サンドロ・ボッティチェリ Sandro Botticelli『受胎告知』
華やかで美しく。これぞボッティチェリ。
サンドロ・ボッティチェッリ(イタリア語: Sandro Botticelli, 1445年3月1日– 1510年5月17日)は、ルネサンス期のイタリアのフィレンツェ生まれの画家で、本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピ (Alessandro di Mariano Filipepi) といいます。彼もルネサンス期を代表する画家であり、日本では『ヴィーナスの誕生』や『春』などの作品でご存じの方も多いのではないでしょうか。
ボッティチェリもまた複数の『受胎告知』を描いており、中でも最初に描いたサンタ・マリア・デッラ・スカーラ病院に寄贈されたフレスコ画の作品は、画家らしさがもっとも発揮された作品と言えるでしょう。明るく華やかな色彩は作品劣化してもなお美しさを留め、美男美女として描かれたマリアとガブリエルの顔立ちは『ヴィーナスの誕生』や『春』を彷彿とさせます。
このような華やかで美しい表現はいかにもボッティチェリらしく、当時としては極めて個性が突出したケースと言えるのではないでしょうか。
8. ジョルジョ・ヴァザーリ Giorgio Vasari『受胎告知』
ミケランジェロの薫陶を受けたマニエリスムの作品
ジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari, 1511年7月30日 – 1574年6月27日)は、イタリア・トスカーナ州のアレッツォ出身の画家・建築家で、ミケランジェロの弟子としても活躍しました。しかし彼の名を世界的にしたのは著書『画家・彫刻家・建築家列伝』(1550年初版)で、現在でもルネサンス期におけるもっとも重要な研究資料の一つとして各国の研究者たちが愛読しています。
そんなヴァザーリも画家であり、『受胎告知』を手掛けています。これまでに紹介してきた画家たちと比べると、人物描写が画面全体を占める割合が高く、背景はほとんど描かれていません。かろうじて室内であることはわかりますが、他の『受胎告知』のように明らかな閉鎖された部屋にも見えませんし、調度品もぼんやりとしています。一方で人物描写は、処女マリアもガブリエルもがっしりとした体つきで長く、顔つきもやや面長、姿勢もかなり窮屈に見えます。
この作風は『マニエリスム』によるもので、ヴァザーリの師匠ミケランジェロによって確立されました。ミケランジェロはそれまで隆盛を極めていたルネサンスとは異なり、目に見える姿よりもその奥にある見えない心理(イデア)の表現を追求しましたが、その理想を追い求める手法および様式が『マニエリスム』です。
ヴァザーリらは師匠の理想に傾倒し、それを様式として確立していきましたが、終生ミケランジェロのようなダイナミズムを生み出すことができず、イタリア美術も斜陽の時期を迎えます。
9. エル・グレコ El GRECO『受胎告知』
自らの表現にこだわってマニエリスムを突き抜ける
エル・グレコはその長いキャリアの中で、実に12点もの『受胎告知』を描いています。中でも岡山県の大原美術館に所蔵されている一枚は、日本で見られるグレコの貴重な真作の一つとして、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
全体に伸び上がったような描写、荒々しいタッチ、コントラストの激しい色彩は、ルネサンス期の自然主義的なスタイルとは全く異なる表現となっています。グレコはヴァザーリらと同じ『マニエリスム』の画家ですが、いっそう誇張が進んでおり、当時としてはかなり尖った表現だったと言えるでしょう。実際グレコは発注元の要望よりも自分の表現を追い求めてしまうことが多く、支払いで揉めることも少なくありませんでした。しかし後世、セザンヌやピカソら著名な芸術家たちがグレコの絵画を評価したことで再び脚光を浴び、美術史に名を刻むこととなります。
10. カラヴァッジオ Caravaggio『受胎告知』
光と影に浮かび上がる対比図が美しい、“荒くれた天才”晩年の名作
ルネサンス期の後に登場し、まるで映像のように人間の姿を写実的に描く手法と、光と陰の明暗を明確に分ける表現で、バロック絵画の形成に多大な役割を果たしました。しかし性格は粗野で気性が荒く、イタリア国内を転々としながら各地で犯罪を起こしたトラブルメーカーとしても知られます。
そんなカラヴァッジオも、38年という短い生涯の中で『受胎告知』を描いています。暗い室内で一際白く輝くガブリエルとほの明るく照らされる処女マリアの顔と手が印象的な本作は、暗い人間の世界に降臨した天使の神々しさと神の子を受胎してその輝きを託されたマリアの頼りなさげな光が、両者の存在を明確に表しています。とくにガブリエルの描写は斜め後ろから捉えられているために表情が見えず、マリアとの対比をいっそう印象的なものとしているのです。
この光の陰影の繊細な表現には、カラヴァッジオの得意としたスフマートやテネブリズムが用いられています。本作を描いて3年も経たないうちに画家は死去しましたが、彼の突出した絵画スタイルはルーベンスらに多大な影響をもたらし、芸術を飛躍的に進歩させることとなりました。
11. フランシスコ・ゴヤ Francisco José de Goya y Lucientes『受胎告知』
ロマン主義の牽引役、若かりし日の作品
そんなゴヤが宗教画を描いた例はあまり多くありません。『受胎告知』は、かつてプラドにあったサン・アントニオ・デル・プラド カプチン修道士礼拝堂の祭壇画として制作された作品で、スペインの名門メディナ公爵家の依頼で引き受けたと言われます。荘厳で神秘的な雰囲気の保守的な作品ですが、背景にインパスト技法(絵の具を凹凸が出るほど厚塗りする画法)を用いたり、天使ガブリエルの翼と階段を並行に描く、洋服のシワを簡略化するなど、当時最先端の表現が用いられています。
本作が描かれた1785年ごろはゴヤも将来を嘱望される青年画家で、間もなくスペイン宮廷画家にまで上り詰めます。ところが1792年に病で聴力を失い、1807年にはナポレオンの侵攻や独立運動など時代の濁流に翻弄されると、フランス軍によるマドリード市民の処刑を描いた『マドリード、1808年5月3日』や、通称『聾者の家』の壁に描かれた『黒い絵』シリーズなど、不条理な現実や自らの内面を表現した闇の深い作風へと変貌して行きました。
12. ロセッティ Dante Gabriel Rossetti『Ecce Ancilla Domini主の侍女を見よ』
ルネサンス回帰を目指して写実的な作風に
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti,1828年5月12日 – 1882年4月10日)は、19世紀のイングランドの画家・詩人。妹の詩人クリスティーナ・ロセッティと共にラファエル前派の主要メンバーとして知られます。
ラファエル前派は反アカデミックな考えを持つ美術学生たちによって結成され、ラファエロ以前の写実的で細密な絵画に回帰すべく活動しました。活動自体は早期に終わったラファエル前派でしたが、ロセッティは第二次ラファエル前派を結成し、耽美で装飾的な作風を強め、後の象徴主義への橋渡し役を務めました。
本作『Ecce Ancilla Domini(ラテン語で「主の侍女を見よ」)』は、閉鎖された室内に処女マリアの後頭部に浮かぶ光輪、天使ガブリエルの持つ白百合など、伝統的な約束事を守って描かれています。インテリアにはキリストの象徴である赤と聖母を象徴する青を用いているのも、この約束事に忠実であろうとした結果でしょう。また処女マリアのモデルには妹のクリスティーナを起用しているためか、極めてリアルな仕上がりになっているのが特徴です。一方で構図の切り取り方はかなり大胆で、背景の窓枠がバッサリと切られています。これは印象派が得意とした浮世絵の構図作りの影響を受けたものと考えられ、描写とはうって変わって現代的な表現と言えるでしょう。
13. ルネ・マグリット René François Ghislain Magritte『受胎告知』
約束事は一切無し。でもそれが神秘的。
ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット (René François Ghislain Magritte, 1898年11月21日 -1967年8月15日) はベルギーを代表する画家で、シュールレアリスム運動の中心人物の一人として知られます。
中でもデペイズマン(=「異なる場所に置くこと」の意。ある対象を日常から切り離してあり得ないような組み合わせを作る手法)の活用に優れており、その特徴は『受胎告知』でも十分に発揮されています。キャンバスに描かれた奇妙な組み合わせは、おそらくこれまで誰が描いたバージョンともかけ離れているため、果たしてこの作品が『受胎告知』かどうかすらも怪しく思えてくるのではないでしょうか。画面右側に並ぶ2つのオブジェはビルボケット(けん玉)で、中央には装飾のように切り抜かれた紙が、その後には大小様々な球体のぶら下がった金属の壁が立っています。説明のつかないこの奇妙な景色は、しかし何か重大なことが起こるか、もしくはすでに起こった後であるかのような緊張感ある空気を帯びているため、かえって『受胎告知』という偉大なタイトルがふさわしく思えてくるのです。
マグリットは生涯にわたって無宗教を公言しており、そんな彼があえて宗教的なテーマを掲げた理由については現在も謎に包まれています。しかし1929年から1933年にかけてシュールレアリスムのリーダーであるアンドレ・ブルトンと宗教を巡って仲違いをしていたため、この出来事に対するマグリットなりの意思表示だったのかもしれません。
いずれにせよ、マグリットのバージョンが世に生み出されたことによって、『受胎告知』はこれまでの約束事から完全に解放されたと言えるでしょう。
14. フェルナンド・レジェ Fernand Leger『受胎告知』
シンプルで潔く。美術史の名画をポップアートで現代的に。
フェルナン・レジェ(Fernand Léger, 1881年2月4日 – 1955年8月17日)は、20世紀前半に活躍したフランスの画家です。ピカソ、ブラックらとともにキュビスム(立体派)の画家と見なされますが、後にキュビスムの作風から離れ、太い輪郭線と単純なフォルム、明快な色彩を特色とする独自の様式を築き上げました。また絵画以外にも版画、陶器、舞台装置、映画などでも作品制作に取り組むなど、マルチな才能を持っていたことでも知られます。
本作『受胎告知』は、レジェがポップアートに目覚めてからの作品です。小品(52 x 40 cm)ゆえに極めてシンプルな構成になっており、描かれているのは処女マリアと鳩、それに白百合の3つだけという潔さ。しかし的確に歴代の約束事をピックアップしているので、この作品が『受胎告知』であることを誰も疑うことはないでしょう。約束事から完全に脱却した形で同じテーマに取り組んだルネ・マグリットとは完全に真逆の捉え方ですが、『受胎告知』という出来事の重大性や神秘性が表出しているのはむしろ後者のように思われます。
レジェは過去の名画をテーマに自らの作品を多数手がけており、本作もそのうちの1点に数えられます。おそらくレジェ自身にも何か特別な意図があったわけではなく、普遍的なモチーフの一つとして取り組んだ結果だったのではないでしょうか。
終わりに
『受胎告知』というキリスト教(とくにカトリック)にとって重要なテーマが、長い歴史の中でどのような変遷を辿ってきたか、少しでも体感していただけたでしょうか?
聖書の一場面がやがて芸術表現の普遍的なテーマへと変わっていった背景には、アート自体を取り巻く環境の変化が少なからず影響したと考えられます。とくに以下の点については、極めて密接な関係性があったと言えるでしょう。
- 需要層の変化
『受胎告知』が描かれたそもそもの目的は、キリスト教(カトリック)による布教でした。しかし時代の流れと共にその絶対的な権力が教会(カトリック)から各国の権力者へと徐々に移り変わっていくと共に、工房を構えていた有力な芸術家たちは彼らの“お抱え”へと転身していきます。メディチ家と専属契約を結んだレオナルド・ダ・ヴィンチらは、その走りと言えるでしょう。すると『受胎告知』をはじめとする宗教画も、教会の求めていた神秘性よりも華やかで斬新な作品が求められるようになり、展示場所も教会から宮廷などの居住空間へと移り変わっていきました。さらに時代が進むと顧客層は王族から一般市民へと移行します。一個人で取り扱えるよう作品のサイズはさらに小さくなり、創作も大量消費に適した形へと対応を遂げていきました。今回紹介した作品の中でレジェのバージョンが最小であることは、その象徴と言えるかもしれません。
- 芸術家(画家)の地位の上昇
今回紹介した画家のうち、最初の方に紹介したドゥッチョやジオット、フラ・アンジェリコらは、自らの工房を構えて依頼主の発注に対して忠実な絵を仕上げるという現在の職人に近い立場でした。しかし時代の流れと共に自らの表現を求められるようになると、優れた表現をできる画家は取り合いになり、工房暮らしの画家たちは、宮廷芸術家のようにお抱えの立場へと変化していきます。さらに時代を経ると、画家は雇われの身分からも離れ、完全に独立した立場であることを良しとするようになります。独自の優れた表現を磨き上げた画家たちは広く賞賛され、尊敬と憧れを集める存在にまで昇華されることとなったのです。それに伴い、宗教画の見方も「キリスト教の神秘性・権力者の崇高性を伝える絵画」から「過去の偉大な画家の遺産」へと変化します。すると芸術家たちも先人たちのフォーマットを活用して表現することに興味を持ち始めるようになったのです。レジェの作品は、その代表と言えるでしょう。マグリットは創作の経緯こそ明らかではありませんが、少なからず意識があったからこそあえて『受胎告知』というテーマに取り組んだと考えられます。今後も世界中の画家が挙って描くことはないかもしれませんが、偉大な先人たちと対話すべく現代および時代の芸術家たちがこの歴史ある題材に挑戦し続けていくのではないでしょうか。