2024.07.03
ひまわりを描いた5人の画家
「ひまわり」の作品。そう聞いて多くの人が真っ先に思い浮かべるのは、ゴッホの描いた「ひまわり」でしょう。ゴッホの「ひまわり」は、彼の作品としてはもちろん、世界的に見ても最も有名な絵画の一つです。
そのため「ひまわり」と聞くと、われわれは反射的にゴッホを連想してしまいます。しかし実は、「ひまわり」はゴッホ以外の多くの芸術家も取り組んだ主題でもあるのです。
そこで今回はひまわりを描いた5名の画家をご紹介し、彼らがひまわりをどのように表現したのかを見ていきたいと思います。
Contents
ヴィンセント・ファン・ゴッホ 「ひまわり」1888 ナショナルギャラリー(イギリス・ロンドン)
本作は1888年、ゴッホによって描かれた「ひまわり」です。実はゴッホの「ひまわり」は全部で7作あり、中でもロンドン・ナショナルギャラリー所蔵の作品は最も知られています。昨年から東京・大阪で開催されていた「ナショナルギャラリー展」で公開されていたので、見られた方もいたのではないでしょうか。画面の多くが黄色で占められ、しっかりとした輪郭線で描かれた15本のひまわりは、刈り取られてもなお力強く生き続けている姿が描写されているように感じられます。
冒頭でゴッホのひまわりは全部で7作あると述べさせていただきましたが、絵に現れる雰囲気は描かれた時期によって大きく異なります。というのもゴッホは感情の起伏が激しいことで有名な人物で、それぞれの作品には当時のゴッホの心境が強く投影されました。本作は7作ある内の4作目にあたるひまわりで、この作品が描かれた頃のゴッホは、南フランスのアルルに移住し、精神的に満たされた時期であったと言われています。また、憧れの存在だったポール・ゴーギャンからアルルで共同生活を送る約束を取り付け、期待に胸を膨らませていた時でもあります。本作に現れている力強さは、まさに期待と希望に胸を膨らませるゴッホの明るい心境だったのです。
ちなみに7作あるうちの1作は、東京・新宿にあるSOMPO美術館に収蔵されています。SOMPO美術館の「ひまわり」は、ナショナルギャラリーの「ひまわり」とよく似ていることで知られています。なぜなら、ゴッホが本作を模写して描いたのが、SOMPO美術館で収蔵されている「ひまわり」だからです。機会があれば、ぜひその珠玉の名作をSOMPO美術館で味わってください。
クロード・モネ 「ひまわり」 1880 メトロポリタン美術館(アメリカ・ニューヨーク)
本作は印象派の巨匠クロード・モネが1880年に描き、第7回の印象派展に出品された作品です。「ひまわり」を主題にした作品は美術史常に星の数ほどありますが、中でも本作はゴッホの「ひまわり」と最も比較されてきました。ゴッホ版が力強く重さを感じさせる一方で、モネ版は印象派らしい表現(ぼやけた輪郭線や光の効果)を用いて、小ぶりで可憐なひまわりとして描かれています。しかし本作は、単にゴッホ版との比較対象としてだけでなく、モネという画家を語る上でも極めて重要な作品と位置付けられているのです。
実はモネたち印象派の画家たちは、自然の光や影を目に映るままに描くことに重点を置いていたため、主題を屋外に求めてスケッチに出かけるのが普通でした。特にモネは実際に戸外で主題を見て描くことを大切にしていたので、静物画は積極的に取り組む主題ではなかったと考えられます。それだけに本作のような室内作品は極めて希少性が高く、モネの研究者たちにとっては極めて興味深い作品となっているのです。おそらく「ひまわり」を描いた時は、天候不良によって戸外での制作ができなかったのではないかと考えられています。しかし明るくいきいきとした「ひまわり」は、鑑賞者にやわらかな光を感じさせ、風景とはまた違うモネの光に触れられる作品です。
アンリ・マティス 「花瓶のひまわり」 1898 エルミタージュ美術館(ロシア・サンクトペテルブルク)
こちらはアンリ・マティスが1898年から99年にかけて描いた「ひまわり」です。マティスは20世紀初頭に活躍したフォービズムの旗手として知られていますが、本作は彼の作品が「フォーブ」と呼ばれる前に描かれた作品であり、フォーブに向かう過程が表れた非常に興味深い作品と言えるでしょう。マティスといえばフォーブと呼ばれた強烈な色彩とデフォルメされたフォルムが特徴的です。しかしマティスの初期の作品は、やわらかい色調で描かれた静物画や室内画が中心でした。本作では、初期の作風とフォービスムと呼ばれた頃の表現の双方を見ることができるのです。そう感じられるのは、全体がやわらかな色調で描かれている中で、部分的に強い色彩を用いている点にあります。また、写実的なフォルムを残しつつも、エネルギッシュな厚塗りのブラシストロークが見られますが、これはフォービスムと呼ばれた以降の作品に多く使われる技法です。間違いなく本作はマティスがフォービスムに向かっていく過渡期の作品であり、新たな試みが見られる作品ということができるでしょう。
本作は、南フランスのコルシカ島を訪れた時に制作されたと考えられています。このコルシカ島への旅行は、マティスの作風を大きく変えることとなった出来事であり、以降マティスは生涯にかけて南フランスのまばゆい太陽と豊かな風景を描き続けることとなります。もしかしたらマティスは、そのまばゆく輝く太陽からひまわりを連想したのかもしれません。
グスタフ・クリムト 「ひまわり」1907 ヴェルべデーレ宮殿(オーストリア・ウィーン)
本作は1907年、グスタフ・クリムトによって描かれた「ひまわり」です。絢爛なクリムトの作風を象徴するような表現がなされており、クリムトの作品に馴染みのある方であれば一目で彼の作品だとわかるでしょう。上述した作品たちと大きく異なるのは、本作で描かれているひまわりが刈り取られたものではなく、地に根を張るひまわりということです。そのため本作の位置付けは静物画ではなく風景画です。一本のひまわりは力強く真っ直ぐに立ち、茎に生える大きな葉はさながらドレスを纏っているような印象を受けます。本作には、クリムトの多くの作品に共通する細部の装飾も取り入れられており、ひまわりの下に生える小さな花々や背景が本作を一層幻想的にしています。
また本作は、クリムトの最も有名な作品「接吻」と構図が似ていることでも有名です。両作品は、小さな花に覆われた崖、崖の先に描かれたカップルとひまわりといった点が瓜二つで、ローブに包まるカップルと葉に覆われたひまわりも似た形をしています。本作と「接吻」はそれぞれ1907-08年にかけて描かれたため、この構図の一致は偶然ではないでしょう。加えてクリムトがキャンバスに金箔を用いるようになったのもこの頃からです。以降の作品はクリムトの作品の中でも黄金時代と呼ばれるのですが、「ひまわり」は接吻とともに黄金時代を象徴する作品と位置付けられています。
エゴン・シーレ 「ひまわり」 1909 個人蔵
本作はエゴン・シーレによって製作された「ひまわり」です。シーレといえば19世紀末から20世紀初頭にかけてウィーンで活躍した画家であり、人物画を中心として「生と死とエロス」を表現した人物です。作風は露骨とも言えるほどの性的な表現で、表現主義に分類されています。
本作はシーレが師と仰ぐクリムトの「ひまわり」と同様、地植えのひまわりが描写されています。しかし、鈍くくすんだ色彩、密度の低い花弁、白一色に塗られた背景などは枯れた印象を与え、力強く根を生やすクリムトの「ひまわり」とは対照的です。これはシーレが意図的に行った独自の表現であり、クリムトとゴッホの「ひまわり」に新たな解釈を加えたものと言われています。シーレは「ひまわり」に衰退のイメージを付け加えました。常に精神的に苦しめられていたシーレにとって枯れゆくひまわりは、自身の精神を重ねることのできる理想的なモチーフだったのでしょう。上述したどの「ひまわり」とも異なる悲しみに満ち孤立したひまわりは彼の精神状態をも表しているのです。
以上が「ひまわりを描いた5人の画家」の解説となります。こう見比べてみると一つ主題であっても画家によってその表現は大きく異なることがわかっていただけたのではないでしょうか。そして当然ですがひまわりを描いた画家は今回取り上げた画家以外にも数多く存在しています。気になる方はご自身で調べてみていただければと思います。