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2021.10.08

「積みわら」を描いた7人の画家

「積みわら」を描いた7人の画家

今回は「積みわらを描いた7人の画家」と題しまして、「積みわら」をテーマに作品解説を行なって参りたいと思います。

「積みわら」はフランスのノルマンディー地方の田園風景の特徴的な光景で、収穫後の畑に積まれた干し草の山のことを指します。穀物の茎と実を分離しやすくするために乾燥させる貯蔵庫としての機能を果たしたものです。4.5メートルから6メートルにも及ぶ干し草の積みあげられた山は、フランスのノルマンディー地方の田園都市における美と豊穣を象徴する光景でした。

おそらく“「積みわら」の絵”と聞けば、多くの方が印象派の巨匠クロード・モネを連想するのではないかと思います。それほどまでにモネの描いた「積みわら」は広く知られています。しかし当然のことですが、「積みわら」を描いた画家はモネだけではありません。特にフランスにまつわる芸術家たちにとっては人気の題材で、これまで数多くの名作が描かれてきました。

本記事では取り上げている「積みわら」を描いた7名の画家はいずれもフランスにゆかりの深い人物たちばかりです。それでは解説をはじめてまいります。

 

クロード・モネ「積みわら、夏の終わり」1891

クロード・モネ「積みわら、夏の終わり」1891

本作はフランスが誇る印象派の巨匠クロード・モネによって描かれた「積みわら」です。おそらく本作こそ絵画史上最も有名な「積みわら」で間違いないかと思います。

モネの描いた「積みわら」は、同じ題材を異なる時間、季節の光の下で描き分けられた連作として知られています。本記事で取り上げさせていただいている作品は「夏の終わり」に描かれた「積みわら」です。積みわらがノルマンディー地方を象徴する光景と上述いたしましたが、モネが積みわらを描いたのもノルマンディー地方(のジヴェルニー)です。

モネが本作を含む「積みわら」の連作で行ったことは「光の研究」でした。ぼやけた輪郭を持つ積みわらは光を反射し、柔らかな光に包まれているような効果を生み出します。終生モネは絶えず変化する光と雰囲気の印象をとらえることを目指しており、モネはこれを「移ろい効果」と呼びました。

モネといえば「睡蓮」を連想される方も多いと思います。
しかしモネに名声と富をもたらすきっかけになったのは連作「積みわら」であり、「睡蓮」と並ぶモネの重要な作品として世界中で愛されています。

 

ジャン=フランソワ・ミレー「秋、積みわら」1873

ジャン=フランソワ・ミレー「秋、積みわら」1873

ミレーはフランスが誇るバビルソン派の画家であり、「落穂拾い」や「種をまく人」など、農村を舞台に世界的名作を描いたことで知られます。本作はモネが積みわらに着手する以前に描かれた作品で、自然主義的で写実主義なミレーの画風が如実に現れているような作品です。モネは光の移ろいを描くために積みわらを描きましたが、ミレーは「土に生まれて土に生きる」を信条とした自然への礼賛を表現するように積みわらを描きました。「土に生きる」とは自然の摂理に従って人間と大地が結ばれることであり、神の恩恵に預かることを意味しています。

ミレーは本作以外にも「積みわら」を描いていますが、常に主役となっていたのは積みわらではなく生活を営む農民の人々の姿です。ミレーの最大の関心ごとは生きている人間たちの営みであり、自身も土まみれになりながら、実在感のある人間像を描き上げました。

 

ピエール=オーギュスト・ルノワール 「畑と積みわら」1885

ピエール=オーギュスト・ルノワール 「畑と積みわら」1885

本作は1885年に印象派の巨匠ルノワールが描いた「積みわら」の作品です。彼は女性を好んで描いていたことから女性美を追求した画家と言われますが、他の印象派の画家たちと同様に上掲のような風景作品も数多く描きました。本作をモネの「積みわら」と比較してみると、光の捉え方が大きく異なり、輪郭線が現れています。

本作が描かれた頃は一時的にルノワールが作品の描き方を変えた時期で、印象派の表現に限界を感じ、新たな表現を試みた時期でもありました。しかしそれはうまくいかず、1890年代に入ると固い輪郭線が消え再び柔らかい筆触が見られるようになります。

ルノワールといえば暖かくそして繊細な作品を描くというイメージを多くの方が持っているかと思いますが、本作は偉大な芸術家がより良い表現を求め、果敢な挑戦を行っていたことを示す好例と言えるでしょう。

 

カミーユ・ピサロ「エラニーの積みわら」1885

カミーユ・ピサロ「エラニーの積みわら」1885

本作は1885年にカミーユ・ピサロによって描かれた作品です。ピサロはモネやカイユボットと同様に印象派の主要なメンバーであり、また8度開催された印象派のすべての展覧会に参加した唯一の人物でもあります。印象派は早期にポスト印象派や新印象派へと移行していきますが、それら全ての発展に多大な貢献を果たしたことで広く知られています。

印象派と呼ばれる多くの芸術家たちは戸外での制作を好んだという共通点があります。もちろんピサロも例外ではなく、むしろ進んで戸外にでて絶えず変化する光をキャンバスに描きました。「『積みわら』は幸福感を漂わせている」という彼の言葉の通り、柔らかな光に包まれる積みわらは豊穣の喜びを感じさせます。

また、タイトルにもあるエラニーとはパリの北西部にある村の名前で、ピサロが晩年の拠点とした土地です。ピサロは本作以外にも積みわらを描いていますが、それらはモネと同様に同じモチーフを時期や視座を変えて描いた連作とも言える作品もあり、その一連の作品からピサロが求めた光をみることができます。

 

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「プロヴァンスの積みわら」1888

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「プロヴァンスの積みわら」1888

上掲の「積みわら」はゴッホによって描かれた作品です。本作はゴッホが数多くの代表作を描いた作品と同時期に描かれており、かの有名な「ひまわり」を描いた年と同じ年に描かれた作品です。本作はひまわりと同様に黄色が特徴的な「積みわら」で、ゴッホ特有の厚塗りや誇張した色彩が見られる作品です。ゴッホは色にはそれぞれ意味があると考えており、中でも好きだった色が黄色だったと言います。南フランスのプロヴァンスの強い光を受けた積みわらは、キャンバスの中でまばゆいほどに光輝き、豊穣のシンボルであることを強く感じさせます。

本作が描かれた1888年といえばゴッホがアルルでゴーギャンと過ごした時期であり、同時に左耳をそいだ時期です。一方で「ひまわり」の他にも「夜のカフェテラス」「アルルの跳ね橋」といった代表作が描かれた時期でもあり、本作からも成熟したゴッホの表現を見ることができます。

 

アルフレッド・シスレー「朝日の中のモレの積みわら」 1890

アルフレッド・シスレー「朝日の中のモレの積みわら」 1890

本作はアルフレッド・シスレーによって描かれた「積みわら」です。シスレーは印象派の最も典型的な画家として知られています。シスレーは印象派と呼ばれるようになった最初期のメンバーであり、“最も印象派らしい画家”と称されます。戸外で描くことに徹していたシスレーはモネと同様に光の移ろいを描こうと試みました。

シスレーはもともと画家を志望していたわけではありませんでしたが、青年期にモネルノワールの作品に魅了されて制作を開始しましたそのためシスレーがモネと同様の主題を描くことは自然なことだったのではないかと考えられます。

タイトルにもあるモレとは、モレ=シュル=ロワンというパリから80kmほど離れた郊外の村の名前です。シスレーは本作を描いた前年にモレに移り住んでいます。彼はこの地でのどかな街並みを数多く描きましたが、いずれの作品も卓越した気象状況の変化による光の表現を見ることができます。

 

ポール・ゴーギャン「ブルターニュの積みわら」1890

ポール・ゴーギャン「ブルターニュの積みわら」1890

本作はゴーギャンによって描かれた「積みわら」の作品です。ゴーギャンは後期印象派の画家として名を馳せたフランスの画家として広く知られており、ジャポニスムや民族工芸に影響を受け、「クロワゾニスム」など独自の新しい画風を作り上げていきました。

本作は暗い輪郭線によって分けられ、くっきりしたフォルムで描かれた、ポスト印象派の様式である「クロワゾニスム」の特徴が見られる作品で、積みわらを主題としながらもブルターニュの風景を描いた作品です。ブルターニュとはフランス北西部にある地域のことでノルマンディーに隣接する地域。ブルターニュはゴーギャンが南洋に住む前の拠点として知られ、この地で「黄色いキリスト」や「説教のあとの幻影」といった代表作を描きました。本作を含めそれらの作品は大胆な色彩と輪郭線で描かれており、当時としてはあまりにも先進的なゴーギャンの表現を見ることができます。

 

まとめ

以上が「積みわらを描いた7人の画家」の作品解説となります。このようにみてみるとフランスの画家、特に印象派の画家たちによって頻繁に描かれた題材だということがわかります。戸外での制作を好んでいた印象派の画家たちにとって、光を反射し、田園風景の叙情を伝える絶好の題材だったのでしょう。本作以外にも積みわらを描いた画家が他にも大勢いるので、興味のある方はご自身でも調べてみていただければ幸いです。

 

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