2023.04.06
【今日の一枚】パブロ・ピカソ『アヴィニョンの娘たち』2/2
本記事では、前回に引き続き『アヴィニョンの娘たち』とキュビスムの関係性について解説したいと思います。
↓前回記事
キュビスムとは
キュビスムとはキューブ(立方体)とイズム(主義)からなる言葉で、立体主義とも呼ばれる芸術運動です。形態の解放運動、常識的なものの見方を覆したことで、視覚様式の革命を意味しています。キュビスムの画家たちは以下の作品のように形態を魚の鱗のように見るものを細分化し、断片化し、それを新たな次元に置き換えて再構築を行いました。
キュビスムはピカソとフランスの画家ジョルジュ・ブラックによって創始され、のちに20世紀で最も影響力のある芸術運動となりました。
その始まりは、ブラックが『アヴィニョンの娘たち』を目の当たりにした時と言われます。その異様な表現に衝撃を受けたブラックはピカソとともに制作をするようになり、次第に多くの若い芸術家たちが二人の表現に追従するようになりました。しかしキュビスムが芸術運動として成立したのは、1908年から第一次世界大戦勃発までのわずか数年間で、これはキュビスムの渦中にいたブラック、レジェ、アポリネールといった人物たちが軍に召集されてしまったためです。残されたピカソは徐々にキュビスムから離れ、新たな表現に向かうこととなりました。運動としては短命でしたがその後の芸術家たちに及ぼした影響は大きく、キュビスムの技法は第二次世界大戦後も芸術家たちの間で用いられることとなりました。
通常、芸術運動は終了と共に技法も廃れてしまうものであり、キュビスムが運動の終息後も多くの芸術家に継承されたのは異例のことでした。この理由として、キュビスムが個人的な性格から形成された運動だったことが挙げられます。というのもピカソやブラックは、キュビスムを運動とは考えていなかったのです。実際に、二人は宣言文を発表することもなければ、技法を体系化して伝えるようなこともしていません。彼らはただ自分たちの新しい芸術の創造を模索していただけに過ぎず、このように一大運動となったのは想定外だったのでしょう。
多くの芸術家が技法を取り入れたことで解釈が広がっていったキュビスムでしたが、いずれにしても次の2点は共通しています。
まず一つ目が、キュビスムは抽象芸術を意図したものではなかったということです。キュビスムの実践者にとって、絵は常に現実世界のある側面を再現するものという考えに基づいており、それゆえに表現は常に具象を意図していたわけです。そして二つ目が、目に見えるものをそのまま再現することを拒否していたということです。キュビストたちは外面的にではなく、概念的に世界を描写することを目指していました。この概念というのが「同時にいくつかの異なる視点から描かれたモチーフ」や「幾何学的な小さな面を持つ像として描かれたもの」として作品上に現れています。これらの共通点に根源的な影響を与えたのが、セザンヌの晩年の作品「サント=ヴィクトワール山」を描いた連作です。セザンヌは自然の中にある幾何学を捉えようと試みましたが、ピカソとブラックはそれを発展させてキュビスムへと昇華させていったのです。
キュビスムは厳密にいうと二つの時期に分けられており「分析的キュビスム」と「総合的キュビスム」に分類されます。「分析的キュビスム」とは1909年から1912年に見られた表現であり、描こうとする対象物を小さく分断し、全体として現実を示唆する一群の形態を見出そうとしました。上掲したブラックの作品が分析的キュビスムの表現が見られる作風です。一方「総合的キュビスム」は、抽象化が進んだキュビスムとは異なる表現を試みたものです。この表現は1912年以降に見られるようになり、以下のような作風が特徴です。総合的キュビスムにおいて最も重要なのがコラージュを取り入れたもの。壁紙や新聞紙の一部のような身近に感じられる材料を見慣れない方法で表現することを目的としていました。
その後は時代の波に翻弄されて運動は終息に向かいますが、技法は長い間多くの芸術家に取り入れられこととなりました。以上のようにキュビスムは短い期間の中で多様な変化を遂げ、多くの芸術家に伝統的な表現からの脱却を如実に示した20世紀で最も重要な芸術運動です。このきっかけとなったものは『アヴィニョンの娘たち』であり、ピカソなくしてここまでの発展はなかったのかもしれません。
『アヴィニョンの娘たち』とキュビスムの関係
ピカソは本作によって、近代美術におけるアヴァンギャルドの旗手であることを明らかにしました。本作に現れるものこそ、伝統的な価値基準から絵画を最終的に開放するものだったのです。
『アヴィニョンの娘たち』で描かれている女性たちは直線的なフォルムへと変換され、陰影や遠近の矛盾が見られます。これらはキュビスムで見られた面を小さく分断し、立体として捉える視点の基礎となった表現です。本作においてキュビスムの特徴が最も現れているのが、右下のしゃがんでいる女性でしょう。背中を向けているにもかかわらず、顔は正面を向いています。ここに視覚様式の革命と言われる所以があります。
ピカソは本作で、キュビスムの特徴でもあった“同時にいくつかの異なる視点から描かれたモチーフ”を作品の中に描きました。人間の肉眼は、正面と側面を同時に見ることはできません。しかし、ピカソがここで描こうと試みたのは、実際には見えないけれども、頭の中では存在しすることがわかっている別の視野や別の側面なのです。この視点こそが当時芸術の中に突如として現れた革命でした。
また美しく描かないといった見る人を困惑させるような表現も、当時の芸術界に与えた大きな影響と言えるでしょう。伝統的な裸婦では愛らしく描かれることが通常ですが、『アヴィニョンの娘たち』に見られる女性たちは表情がなく、どちらかと言えば怖いと感じられることが多いでしょう。本作に描かれている女性たちの顔は、この頃にピカソが影響を受けたとされるアフリカのニグロ彫刻、スペインのイベリア半島の原始的な彫刻がモチーフとなっています。左の三人はイベリア半島の彫刻、右二人の女性はニグロ彫刻をもとに描かれました。
『アヴィニョンの娘たち』は視覚の革命に加えて、伝統的に美しいとされている相対的な価値観を揺るがした作品でもあるのです。発表当時はあまりにも先進的な表現だったため世間から酷評されましたが、ブラックが共鳴することでキュビスムは発展していくこととなります。その後は多くの芸術家にもキュビスムの技法が取り入れられ、近代絵画は急速に発展することとなりました。その発展の基礎となっているのが常に本作であり、絵画における近代化は本作によって達成されたのです。「美術の歴史を塗り替えた」と言われているのも、こうした後世への多大な影響によるものと言えるでしょう。
ピカソは本作の発表を境にして急速に抽象的な表現へ舵を切ることとなりますが、ピカソ自身は具象と抽象を分けて考えることはしていません。目に見えるその形態が、自身にとって何を意味するかを考え、制作を行ったのです。それを示すようにピカソはこんな言葉を残しています。
「何の意味も持たずに絵筆をちょっと動かしただけで絵が生まれてくることはない、私が筆を動かすとき、それは常に何かを意味している。抽象に達するためには、常に具体的な現実から出発することが大切だ。芸術は象徴による言葉である」
ピカソのこの言葉には「現実を出発とするキュビストの視点」が色こく見られます。我々にとって「抽象」と感じられるピカソの作品には、写実よりも鮮明に表現された現実(リアル)が描かれているのです。