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2021.06.18

【今日の一枚】パブロ・ピカソ『アヴィニョンの娘たち』1/2

角ばった体つき、歪んだ顔の五人の女性たち。右側の二人は呪術用の仮面をかぶっているようにも見えます。裸婦としての愛らしさはこの中にはありません。思わずおぞましさを感じてしまうようなこの作品。見た方はきっとこれは何だ?と疑問を抱かずにはいられないでしょう。

『アヴィニョンの娘たち』 1907  ニューヨーク近代美術館

本作は近代絵画の父パブロ・ピカソによって描かれた作品、『アヴィニョンの娘たち』(1907 ニューヨーク近代美術館)です。

本作は近代絵画史上最も重要な作品と言われており、近代芸術のターニングポイントになった作品でもあります。今回は美術史上で大きな分岐点となった「アヴィニョンの娘たち」を「ピカソについて」「アヴィニョンの娘たち」「キュビスム」の三つのポイントに分けて解説をしてまいります。文量が多くなってしまったので記事を二つに分けて解説をしていきたいと思います。

ピカソについて

ピカソは20世紀が生んだ最も有名で最も独創的な芸術家です。

1881年にスペインで生まれ、1973年(91歳)に亡くなるまでの間におよそ1万3500点の油彩と素描をはじめとする膨大な作品を制作し、最も多作な芸術家としてギネス記録にも認定されています。画家だった父の影響で幼少の頃から絵を描き始めますが、その才能が開花するのに時間はかかりませんでした。8歳頃に描いたデッサンを見てピカソの父は絵を描くことをやめてしまったというエピソードがありますし、ピカソ自身も10代の時には既にラファエロのように絵を描けたと言及しています。まさに神童という名に相応しい逸話です。

ピカソは14歳になるとバルセロナの美術学校で絵画を学び始めます。当時のバルセロナはスペインにおける芸術の中心地であり、前衛美術にも寛容な場所だったと言われます。そこで様々な芸術や詩に触れた後、1900年からはパリとバルセロナを行き来するようになり、1904年にはパリに定住するようになりました。20世紀初頭、世界各国で同時多発的に新しい時代に即した自分たちの芸術のスタイルを築こうという機運が高まっており、中でもパリは新しい芸術スタイルに溢れていました。そしてピカソもその渦中に身を置くことで、自らも様々なスタイルを打ち出して作品制作を試みます。ピカソは描かれた年代によってがらりと画風が変わっていますが、それは年代によって〜時代と分類されています。

10代の写実的な作風から始まり、友人の死をきっかけとして貧困、孤独など青を基調とした暗い絵を描いた「青の時代(1901−04)」

老いたギター弾き 1903

初めての恋人ができたことでサーカスや旅芸人など賑やかで明るい題材中心に描いた「バラ色の時代(1904−06)」

猿を連れたアクロバットの家族 1905

それ以降は世間で言われる、よくわからない作風へと一気に変化していきます。

「キュビスムの時代(1907−18)」

マンドリンを弾く少女 1910

「新古典主義の時代(1918−25)」

浜辺を走る二人の女性 1922

「シュルレアリスムの時代(1925−37)」

三人の踊り子 1925

1920年以降人間の形をピカソ独自の感覚から捉えた『変形』という実践理念をもとに製作をして行きます。それからあの有名な「ゲルニカ」「泣く女」が生まれていきます。かくしてピカソは抽象芸術の開拓者となっていったのです。

この作風の変化からわかるのは、ピカソという人物の多感さです。さながら時代が変われば描く対象や描き方が変わるといった印象さえ受けます。実際ピカソは激情的で、多くの女性と恋愛関係を持ち、周囲の人々とのトラブルも数えればキリがありません。ここまで画風が変わる芸術家は極めて異例ですが、しかし変化し続けたことこそがピカソの偉大さだと言われています。晩年に向かうにつれて徐々に表舞台に顔を出さなくなりますが、1985年に息を引き取るまで数多くの作品を描き続けました。

 

パブロ・ピカソ 『アヴィニョンの娘たち』 1907

『アヴィニョンの娘たち』 1907  ニューヨーク近代美術館

それでは本日のテーマ、『アヴィニョンの娘たち』についてお話をしていきたいと思います。この作品は1907年に描かれ、現在はニューヨーク近代美術館で常設されている門外不出の名作です。本作は、前述した時代区分ではキュビスムに分類される作品です。

『アヴィニョンの娘たち』のアヴィニョはバルセロナのアヴィニョ通りのことを差し、モチーフとなっているのはその売春宿で働く売春婦たちです。彼女たちは明らかに遠近法や陰影を無視して描かれています。加えて女性たちのフォルムは単純化され、人間本来の可動域をはるかに超えた形で描かれています。また、当時理想化して描かれていた裸婦像のような身体の曲線はなく直線的な線で固い印象を与えます。顔に至っては表情がなく作品右二人に関しては仮面を被っているように見えます。

「これだから芸術は理解できない!」と文句の一つも言いたくなるようなこの作品。しかしどうしてこの作品が、近代絵画で最も価値のある作品のひとつと言われているのでしょうか。

それはこの作品が「新たな芸術の方向性を決定づけたから」に他なりません。

ピカソが本作で示した新たな芸術の方向性を理解するには、少しだけ1900年代初頭の美術の動向について触れる必要があります。上述させていただいた通り、ピカソがパリに定住した当時のパリは新しい芸術にあふれていた時期です。それはフランスだけではなくドイツやイギリス、オランダ、オーストリア、イタリア、ロシアなど同時多発的に起こった新たな時代に向けて自分たちの美を作り出すという気運に満ちた転換期の時代でした。

1800年代から1900年代へ、19世紀から20世紀へ時代が変わる中、20世紀の様式美を作り出そうとする動きが世界各地で一気に花開きます。その中で起こった芸術の流れを、美術史の中では◯◯様式とか◯◯運動と言うのですが、この時代パリで生まれた美術運動のひとつにキュビスムというものがあります。

そのキュビスムの方向性を決定づけたのが『アヴィニョンの娘たち』です。具体的にはピカソは本作で視覚による革命を決定づけました。

発表当初はあまりにも現実離れしているため酷評だったとされていますが、本作こそ美術史の歴史を塗り替えた作品であることは間違いありません。次週の記事では本作の詳しい解説とキュビスムの関係性について見ていきたいと思います。

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