2025.11.07
戦後80年 沖縄の今を伝える
戦後80年──沖縄の今を伝える
この文章を目にされる方の中には、あの戦争を実際に経験された方もいらっしゃるかもしれません。
第二次世界大戦を生き抜いた方々の前で、「戦争」という言葉を軽々しく口にすることなど、本来できるはずもありません。
それでも、戦後80年という節目を迎えた今、私たちは改めて沖縄に立ち、かつての記憶と向き合いながら、「何を受け継ぎ、何を語り継ぐのか」という問いに応えるためにこの地を訪れました。
日欧宮殿芸術協会(JEPAA)の運営を担う弊社IMSにとって、沖縄は以前、拠点を構えた特別な場所でもあります。
歳月を経て再び訪れたのは、記録のためではなく、「戦後80年を生きる沖縄の“今”」に息づく祈りと記憶を確かめるためでした。
私たちが足を運んだのは、「沖縄県立美術館」、「平和記念公園」そして「メースBミサイル基地跡」の三箇所──いずれも、過去と未来が交わる“記憶の場”です。そこには、失われた命と文化、そして平和を希求する方々の思いが、刻まれていました。
- 沖縄県立美術館 外観
- 特別展ポスター
那覇市の沖縄県立美術館では、「戦災文化財 失われた沖縄の文化財と取り戻した軌跡」と題する特別展が開催されていました。展示では戦火によって焼失・破壊された文化財、国外へ流出したまま行方の分からない品々を紹介。展示の一つひとつが、「文化もまた戦争の犠牲である」という厳然たる事実を突きつけていました。
首里城の再現資料、王族を描いた絵画(再現タペストリー)、石像、精緻な工芸品。そのどれもが、かつての人々の祈りと誇りを宿した証です。戦争が奪ったのは命だけではなく、人々の営み、信仰、そしてその根底にあった文化の記憶そのものでした。
- 平和記念資料館
- 平和の礎
- さざなみの池
一方、沖縄本島南部に位置する「平和記念公園」は、深い喪失と祈りを今に伝える場所です。
広大な敷地に並ぶ「平和の礎」には、沖縄戦で命を落としたすべての人々──国籍や立場を問わず──の名が刻まれています。
無数に刻まれた名前の前に立ったとき、胸の奥が強く締めつけられました。
ひとつひとつの名は、かつてこの地で確かに生きた人々の証であり、その数だけ、戦争によって奪われた命があったということを突きつけてきます。
その圧倒的な現実の前では、言葉を失うほかありませんでした。
その背景には、かつてこの島が経験した想像を絶する現実があります。
1944年10月10日の「十・十空襲」、そして翌年3月に始まった沖縄戦。
空と海は爆撃機と軍艦で覆われ、炎と煙が島を包み、美しい海は黒く染まりました。家々は焼かれ、家族は引き離され、文化財は破壊・略奪されました。
日本で唯一、地上戦を経験した沖縄。戦闘は1945年6月の終結まで続き、人々に深い傷跡を残しました。
- 沖縄池田平和記念館 外観
- メースBミサイル基地跡
それでも、戦争の終わりがすぐに平和をもたらしたわけではありません。戦後も沖縄は、日本の安全保障の最前線として重い負担を背負い続けてきました。その象徴のひとつが「メースBミサイル基地跡」です。
冷戦期、アメリカはこの地に中距離核ミサイル基地を設置し、核抑止と攻撃の両面からソ連や中国を睨む軍事拠点として機能させました。つまり、ここに築かれた施設群は“平和”ではなく“戦争の抑止”のために建てられたものであり、沖縄の土地は再び、世界の軍事構造の中に組み込まれていったのです。
当時、アメリカの施政下にあった沖縄には核兵器が配備されていましたが、その事実は本土ではあまり知られていません。沖縄の方々にとってメースBミサイル基地は、“再び戦争の責任を背負わされた場所”として今も記憶されています。
現在、この場所は創価学会の管理下で整備され、一般公開されています。かつて核兵器を備えた基地であった場所が、いまは平和の尊さに祈りを捧げる場となっています。
しかし、かつての基地が平和の象徴へと姿を変えた一方で、沖縄全体を通して見ると問題は決して解消されたわけではありません。
戦後80年を迎えた今も、日本国内の米軍専用施設のおよそ70%が沖縄に集中しています。戦火をくぐり抜けたこの島が、今なお「安全保障の名のもとに」犠牲を強いられているという現実は、私たちに多くの問いを投げかけます。
真の平和を考えるということは、過去を振り返るだけでなく、こうした現実に目を向けることでもあります。私たちは、沖縄の歴史と今に学びながら、文化を通して平和のあり方を考えていかなければなりません。
IMSでは、日欧宮殿芸術協会を通じて、美術や文芸の力で文化を伝える活動を行っています。
私たちにとって“文化を伝える”行為は、単に作品を展示することではなく、人々の心をつなぐ“対話”そのものです。異なる文化を尊び、他者を理解し合うこと──その積み重ねこそが、平和を築くための最も確かな礎であると信じています。
沖縄を訪れて改めて感じたのは、その「文化の力」がどれほど深く人の心を支えているかということでした。戦争の記憶を受け継ぎ、壊されたものを修復し、過去の人々や文化に想いを馳せる。その一つひとつの営みが、確かな希望の光となってこの地に息づいています。
沖縄の青く澄んだ海には、今も癒えぬ悲しみが眠っています。けれども、その深みには、絶えることのない平和への祈りが流れています。戦後を生き抜かれた方々の歩みに深く敬意を捧げながら、私たちはその記憶を「過去の出来事」ではなく、「未来への責任」として受け継いでいかなければなりません。
戦後80年──私たちは、文化をつなぐ営みこそが平和を育む力そのものであると確信しています。
平和は、遠い理想ではなく、誰かの犠牲を必要としない日常のこと。
その日常の尊さを胸に刻み、私たちは、私たちにできることから平和の尊さを語り継いでいきます。──沖縄の祈りとともに。






