2024.06.14
日本人が知らない画家vol.3 ”芸術家のための芸術家”ジャン・ブリュッセルマンJean Brusselmans
今回は「日本人が知らない画家」第3弾、ベルギーの画家ジャン・ブリュッセルマン(Jean Brusselmans 1884-1953)をご紹介します。
本当に、知っている人がいたらぜひコメントをください。
ブリュッセル生まれのブリュッセルマン
ジャン・ブリュッセルマンJean Brusselmansは、その名のとおりベルギーのブリュッセルで生まれた画家です。1884年にブリュッセルの労働者階級の地区で仕立て屋の次男として生まれました。祖父母はキャバレー「デミルン」を経営していました。そこは、ブルジョワジーを拒絶し、個人の絶対的自由を主張するアナキストたちの集いの場でした。幼少期および青年期に身近な環境で感じたリベラルな考え方と自信も、彼の芸術的発展に影響を与えました。
1904年、ブリュッセルマンは石版画家の仕事を辞め、絵画に注力する人生を歩み始めます。友人のリック・ウォータースRik Wouters(1882-1916)と共に屋根裏のスタジオを借り、パターンや幾何学的な描写を好んで表現するようになりました。
やがてウォータースを含む一部の若手芸術家たちはベルギー表現主義(フランドル表現主義)として注目を集めるようになります。ただしその輪の中にブリュッセルマンはいませんでした。と言っても、単に画家として売れたかったわけではありません。自分の表現を一つの芸術運動のスタイルとして見なされることを嫌ったのです。
彼は、芸術界の現在のトレンドから完全に独立した独自の方法とスタイルを見つけようとしました。ブリュッセルマンの交友関係は仲間の芸術家、収集家、ギャラリーのオーナー、批評家など多岐に渡ったものの、独自の表現を模索する中ではほとんど孤立したままでした。1920年代末頃からようやく納得できる表現形式を見つけ、以降はそれを確立することに没頭します。こうして1930年から1950年にかけて、ブリュッセルマンの独特のスタイルを示す傑作の1つである絵画を制作するに至りました。
しかしブリュッセルマンの表現が生前に評価されることはありませんでした。1924年から制作拠点とした田舎町ディルベークで、極貧生活のうちに亡くなります。
あらゆるトレンドから独立した表現
ブリュッセルマンの黒い縁取りのある2次元的で構成的な絵画スタイルは、フランスの芸術家アンリ・マティス(1869-1954)の作品を彷彿とさせます。しかし色彩の魔術師と称されたマティスと比べると、その方向性は全くの別物です。ブリュッセルマンの風景画は荒涼としていて、ある種の憂鬱さを放っています。また人物たちは、スケッチのような顔で無表情で硬直しているように見えます。また静物画のオブジェは細心の注意を払って配置が計算され、絵画空間への精緻なこだわりがよく伝わってきます。
どこか客観的で無感情――ブリュッセルマンの作品に共通する表現ですが、このような作風に至った背景には彼の孤独で孤立した生き様があるのではないでしょうか。
”芸術家のための芸術家”ブリュッセルマン
ブリュッセルマンはベルギー国内でかなりの名声を得ていますが、広く一般には知られていません。2011年、オステンド美術館で彼の作品の初の包括的な回顧展が開催されました。2018年にはハーグ市立美術館で展示され、ベルギー国外でも彼の重要性が認められるようになりました。
オランダのデン・ハーグ市美術館はこのように彼を讃えています。
いかなる「主義」や流派にも属さないという独特の姿勢が、ブリュッセルマンズを「芸術家のための芸術家」と形容するにふさわしい人物にしている。彼の絵画的表現の探求は、今日の芸術家たちにとって、今でも非常に魅力的で刺激的なものである。
ジャン・ブリュッセルマン。名前だけでも覚えていただければ幸いです。