2024.09.25
ドラゴンを描いた10人の画家
今回は「ドラゴン」です。国民的テレビゲームでおなじみ、もはや説明不要の西洋の怪物ですが、詳しいことはあまり知らなかったりします。その点は芸術にも通じるものがありますので、ここではドラゴンとその歴史について、芸術家の作品と共に振り返っていきたいと思いますので、どうぞ最後までお付き合いください。
Contents
- 1 ドラゴンとは
- 2 ロヒール・ファン・デル・ウェイデン「聖ジョージとドラゴン」1432-1435
- 3 ウッチェロ「聖ジョージとドラゴン」1470年
- 4 レオナルド・ダ・ヴィンチ「猫とライオン、ドラゴン」「ドラゴンとライオンの戦い」「騎士とドラゴンの戦い」
- 5 デューラー「ドラゴン」「大天使ミカエルとドラゴンの戦い」「太陽の女と七頭ドラゴン」
- 6 ウィリアム・ブレイク 「巨大な赤い龍と太陽を着た女」「巨大な赤い龍と海から上がってきた獣」
- 7 ウィリアム・モリス「孔雀とドラゴン」1878年
- 8 チャールズ・ロビンソン 「聖ジョージに殺されたドラゴン」
- 9 マウリッツ・コルネリス・エッシャー「ドラゴン」1952年
- 10 コンラッド・クラフェック「She Dragon」1964年
- 11 ブライス・マーデン『dragons』2004年
- 12 最後に
ドラゴンとは
そもそもドラゴンとは何なんでしょう? 「ドラクエに出てくるアレ」って言うわけにもいきませんので、ここではかい摘んでご紹介します。
ドラゴンを辞書で調べると「ドラゴン(dragon) ヨーロッパの伝説上の怪獣。翼と爪と蛇の尾をもつ爬虫類で、口から火を吐くとされる。竜。」(小学館:デジタル大辞泉)と紹介されています。
その起源をさかのぼると古代ギリシャ・ローマ時代にはその原型があったようで、当時はギリシア語でドラコーン、ラテン語でドラコと呼ばれており、これが時代の移り変わりの中でドラゴンへと変わっていきました。ただし当時のドラコーンもしくはドラコは蛇(サーペント)を指し示す言葉であり、竜も蛇も区別なくドラゴンとして認識されていたと考えられます。その後、ギリシア語訳旧約聖書である『七十人訳聖書』では、海の怪物リヴァイアサンがドラコーンとして訳され、また新約聖書『ヨハネの黙示録』で登場する赤い竜はサタンと見做されました。
ドラゴンが現在のように翼のある火を吐く爬虫類として定着したのは15世紀以降のことで、これに一役買ったのが『聖ゲオルギウスのドラゴン退治』の伝説でした。
『聖ゲオルギウスのドラゴン退治』は、後に聖人となる騎士ゲオルギウスが、ドラゴンの生贄になった王の娘を救い、王国の人々がキリスト教徒になることと引き換えにドラゴンを殺すストーリーです。
この伝説はヤコブス・デ・ウォラギネ撰述の聖人伝説集『黄金伝説』に収録されて広くヨーロッパ中で読み継がれることになりました。その結果、ドラゴンのイメージが世界中で統一されていったものの、キリスト教の敵としても定着することになったのです。
しかし英国ウェールズの国旗描かれた赤い竜や、北欧神話に登場するニーズヘッグやファフニールなど、単純な善悪で分けられないドラゴンも少なくありません。これらの多くはキリスト教以外の神話や伝承に基づいており、時代の流れと共にキリスト教の絶対悪的なドラゴンの印象を和らげる役割を果たしました。
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン「聖ジョージとドラゴン」1432-1435
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(1399/1400 – 1464年)は初期フランドル派の画家です。前後に活躍したロベルト・カンピン、ヤン・ファン・エイクとともに初期フランドル派を代表する三大巨匠であり、15世紀の北方絵画においてもっとも影響力があった画家とみなされています。
本作は上でも触れた「聖ジョージのドラゴン退治」の伝説を題材とした作品で、黒い鎧に身を包んだ聖ジョージと退治されるドラゴン、後ろで彼の身を案じる王女クレオドリウスの姿など、伝説を忠実かつ詳細に描き表しています。ただし風景だけはどうにもならなかったようで、本来は北アフリカのリビアが舞台であるものの、作品ではベルギーの田園地帯と水に囲まれた城塞都市に置き換わっています。城の周辺ではドラゴンの脅威があるにも関わらず日常を過ごす人々の姿もあり、ゲオルギウスの鬼気迫る表情とのミスマッチ感は否めません。
これほど精密な描写であるにも関わらず、この絵の寸法はわずか14.3 × 10.5 cmと極小であるため、制作時に虫眼鏡が使用されたと言われます。また鎧の反射や空の大気の表現など、同じく三大巨匠に数えられるヤン・ファン・エイクの影響も認められます。
ウッチェロ「聖ジョージとドラゴン」1470年
パオロ・ウッチェロ(ウッチェッロ)(Paolo Uccello, 1397 – 1475年)はイタリア初期ルネサンスの画家です。ちなみにウッチェロとは鳥のことで、鳥を描くのが上手だったという逸話があります。ただし彼の真筆と判明している作品のほとんどに鳥がいないため、風変わりな名前の響きだけが一人歩きしています。
ウッチェロもまた「聖ジョージとドラゴン」を描いています。ただし他の画家が描いたヴァージョンと比べると、極めて奇妙です。まず勇ましく戦う聖ジョージとドラゴンの横で、真顔で突っ立っている王女クレオドリウスは、場違いと言わざるを得ません。おまけに彼女の腰紐はドラゴンの首につながっており、まるで犬の散歩のようです。またドラゴンと聖ジョージも、よく見れば戦っているにも関わらずお互いに相手を正面に置いていませんし、槍も異様に長過ぎます。
このように奇妙な仕上がりの絵になってしまったのは、ウッチェロが遠近法の研究に夢中になり過ぎてしまった影響が少なからずあると考えられます。確かに本作の遠景には遠近法による奥行きが取り入れられていますし、ドラゴンと聖ジョージの不思議な角度も遠近法を活用した結果と見えなくもありません。ただしその積極的な遠近法が良い影響をもたらしているわけでもないのが、ウッチェロという画家でした。
後に『美術家列伝』を出版したジョルジョ・ヴァザーリはウッチェロについて「遠近画法のことでいろいろと苦心して時間を費やした人だが、それと同じくらいの精力を人物の姿形や動物の画に費やしたならば、ジョット以来今日に至るまでイタリアで生まれたもっとも軽妙かつ奇想に富める天才と認められたことであったろう。」と述べています。
レオナルド・ダ・ヴィンチ「猫とライオン、ドラゴン」「ドラゴンとライオンの戦い」「騎士とドラゴンの戦い」
レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci、1452-1519年)は、イタリアルネサンス期の芸術家・学者です。世界最高の名画と謳われる『モナ・リザ』の他、時代を超えて愛される傑作を数多く手がけました。また芸術以外にも科学や占星術、解剖学など数えきれないほどの分野で業績と手稿を遺し、万能の天才とも称されます。
そんなダ・ヴィンチですが、意外にも多くのドラゴンを描いています。その多くはスケッチもしくは手稿の領域を出ないものですが、自由で創造性の高いドラゴンという題材の中で、天才ダ・ヴィンチの表現力が冴え渡っています。当時はまだドラゴンと言えば聖ジョージに退治されるものというイメージが強い中、このように動物として活き活きと描いたダ・ヴィンチは、すでに時代の何歩も先を行っていたと言えるのではないでしょうか。
デューラー「ドラゴン」「大天使ミカエルとドラゴンの戦い」「太陽の女と七頭ドラゴン」
アルブレヒト・デューラー(ドイツ語: Albrecht Dürer, 1471 – 1528年)は、ルネサンス期の画家、版画家、数学者。盛期ルネサンスで名を馳せた数少ないドイツ人です。同名の父・アルブレヒトは、ハンガリーからドイツ南部に移住してきたマジャル人金銀細工師でした。
イタリアにも複数回の渡航を経験し、とくにヴェネツィアでルネサンス美術を吸収し、世界的な画家へと成長しました。
デューラーもダ・ヴィンチと同様にドラゴンを数多く描いています。二人とも緻密で精細な描写力と、さまざまなモチーフや他の分野の知識を取り入れる探究心を兼ね備えていました。空想上の生物というドラゴンの自由性はデューラーにとって魅力的だったのではないでしょうか。
ウィリアム・ブレイク 「巨大な赤い龍と太陽を着た女」「巨大な赤い龍と海から上がってきた獣」
ウィリアム・ブレイク(1757 – 1827年)は、イギリスの詩人、画家、銅版画職人です。
彼の代表作『ミルトン』(Milton)の序詩は、聖歌『エルサレム』として現在の実質的な国家の一つとして扱われています。
ブレイクの創作は文字と絵による総合芸術として展開されており、詩や絵画などのジャンルには分類しにくいものとなっています。また独自に発明した『彩飾印刷』によってその活動に没頭していきました。
ブレイクは、ドラゴンを描いた画家としてもっとも有名な人物の一人かもしれません。彼の代表作「巨大な赤いドラゴン」(1805-1810頃)は、世界的に大ヒットした映画『ハンニバル』シリーズのタイトルであるだけでなく、作中にもストーリーの鍵としてキービジュアルにもなりました。原作小説を描いたトマス・ハリス自身もシリーズ第1作として大きく活用し、書籍化の際に表紙としても用いています。
ちなみにブレイクが描いたドラゴンは『ヨハネの黙示録』十二章および十三章に記される“赤い竜”がモデルになっており、首が7本、10本のツノがある異形の怪物です。この絵を制作したのも、彼の重要なパトロンだったトーマス・バッツによる「聖書の挿絵100点を描いてほしい」という依頼によるものでした。ダ・ヴィンチやデューラーらによって動物的なフォルムが固まりつつあったドラゴンという存在ですが、ブレイクはキリスト教的な要素や霊的な発想を取り入れることでまったく新しい、それでいて原点回帰のドラゴン像を作り出したわけです。
ウィリアム・モリス「孔雀とドラゴン」1878年
ウィリアム・モリス(1834-1896)は、19世紀イギリスのテキスタイルデザイナー。他にも詩人、ファンタジー作家、アーティスト、印刷者、翻訳家、建築保護運動家、社会主義活動家など、様々な分野で活躍しました。とくに19世紀最大のデザイン運動『アーツ・アンド・クラフツ運動』を主導し、「モダンデザインの父」と呼ばれています。
『孔雀とドラゴン』は、モリスの代表作の一つです。彼の屋敷だったケルムスコット・ハウスの客間には、このデザインをあしらった織物を使用していました。
東洋的な意匠を取り入れたこの『孔雀とドラゴン』は、今までのキリスト教の敵としての悪魔的イメージが徐々に和らいできていることの表れと言えるでしょう。とくにイギリスはシティオブロンドン(ロンドン中心地区のこと)が14世紀から白い竜を守護聖獣として紋章に取り入れるなど、ドラゴンに対して愛着を抱く風潮がありました。モリスもロンドン上流階級の人間であったため、このような作品が生まれたのではないでしょうか。
チャールズ・ロビンソン 「聖ジョージに殺されたドラゴン」
チャールズ・ロビンソン(Charles Robinson、1870-1937)は、イギリスのイラストレーター。主に挿絵画家として活躍し、『グリム童話』、「秘密の花園」の他、『不思議の国のアリス』の挿絵が特に有名です。
ロビンソンの作品は、そのほとんどが書籍の挿絵でした。彼が描くドラゴンもまた小説や詩のイメージ化ですが、ややユーモラスで可愛げすら感じられます。これはウィリアム・モリスの『孔雀とドラゴン』と同様に、キリスト教とは独立したドラゴン観を形成していたイギリスらしい芸術作品と言えるでしょう。とくに彼の仕事は性質上、ダ・ヴィンチやウィリアム・ブレイクのような独自の創作ではなく、顧客やその向こうの世相を汲み取る性質であったため、より当時のイギリスの世間一般の世相が反映されていると考えられます。
マウリッツ・コルネリス・エッシャー「ドラゴン」1952年
マウリッツ・コルネリス・エッシャー(Maurits Cornelis Escher)通称M.C.エッシャーは、オランダの画家。主に木版画やリトグラフなどの版画作品を得意としました。日本では騙し絵を広めたことで知られるが、他にもタイル画や図形を増殖させたり反転させたりする「平面の正則分割」の手法など、広範囲で数学的なアプローチの作品を手掛けています。余談ですがエッシャー作品はかつて講談社の『週刊少年マガジン』の表紙に掲載された期間があり、そのせいか日本ではとくに知名度が高くなっています。
「ドラゴン」は、騙し絵的な要素を取り入れた作品の一つです。一見すると線の存在感が強い二次元的な絵画に見えますが、ねじれた尻尾が背中を貫いていたり、その尾を咥えるドラゴンの首が翼とありえない角度で交わっていたりと、不可能な構造の中で成立しています。翼の描写ではエッシャーが好んだ複数の同じ図形が集合して反転する「平面の正則分割」が活用されており、コンパクトな作品ながらエッシャーらしさが詰まった一枚と言えるでしょう。
ドラゴンというテーマに対してエッシャーが積極的に取り組んでいたわけではありませんが、若い頃から好んで様々な動物を描いていたことが明らかになっています。また彼がこのような作風に目覚める上でスペインのイスラム美術など東洋文化の影響が伺えるため、ドラゴンもその一端だったのかもしれません。
コンラッド・クラフェック「She Dragon」1964年
コンラッド・クラフェック(Konrad Klapheck1935年2月10日-2023年7月30日)は、ドイツの画家兼グラフィックアーティスト。シュルレアリスムとネオリアリスムを混合し、独自の画風を確立しました。
クラフェックは長年にわたってタイプライター、ミシン、蛇口とシャワー、電話、アイロン、靴、鍵、のこぎり、車のタイヤ、自転車のベル、時計などをモチーフとしていました。これは機械や技術の発達が人間社会や感情に及ぼす影響を探る一方で、オブジェクトの形態や機能を通して暗示的に人間の本質を浮き彫りにする試みだったと考えられます。
「She Dragon」はクラフェックの代表作品の一つです。彼がよく扱うモチーフである機械的なオブジェクトが女性的な形態や象徴性を持つものとして描かれており、機械がドラゴンのような形を取り、恐ろしくもありながらどこか女性的な妖艶さを持つ存在として演出されています。
もはや聖ジョージの伝説以上にドラゴンのキャラクター性が台頭化している、言うなればかなり普遍的な要素になっていたと考えられるでしょう。
ブライス・マーデン『dragons』2004年
ブライス・マーデンことニコラス・ブライス・マーデン・ジュニア(Nicholas Brice Marden Jr. October 15, 1938 – August 9, 2023)は、アメリカ合衆国のアーティスト。ミニマルアートによって自身の創作を確立し、ポップアートの勢いが増すアートシーンで絵画の地位を守ったことで知られます。
1966年、同じくアメリカ出身の画家ジャスパー・ジョーンズの作品に触発されてミニマル・アートへの扉を叩き、『編み絵』と呼ばれる自身の画風を確立していきました。
『dragons』は、その名のとおりドラゴンが絡み合うようにドローイングした作品です。制作年は2004年、すでにマーデンはドローイングによるアプローチをすでに自分のものにしていました。本作はドローイング作品の中でも明確な彩色が施され、古典的な油彩画に近い仕上がりとなっています。ドラゴンという存在はいっそう自由化されており、どこに牙があるのか、翼があるのかと考えたら困惑してしまうでしょう。もう「ドラゴンとはこういうもの」という発想自体がナンセンスになってしまったとも考えられますが、それはあらゆる事象にとっても同様なのです。ドラゴン以上にアートというものがわかりにくいものになってしまったとも考えられます。
最後に
いかがだったでしょうか。
ドラゴンという宗教的で特殊な存在が、時代の流れとともに普遍的なものへと変化していく流れには、同時に美術がアートへと変化していく流れもあったわけです。その結果、もともと存在し得なかったドラゴン以上に雲を掴むような存在へと変わっていったことには、現代アートと一般市民との関係性すらも伺えるのではないでしょうか。