ARTMEDIA(TOP) > 【今日の一枚】考える行為が、アートになるとき ジョセフ・コスース《1つと3つの椅子》

2025.06.19

【今日の一枚】考える行為が、アートになるとき ジョセフ・コスース《1つと3つの椅子》

What you see is not all there is.
(目に見えるものが、すべての意味を語っているとは限らない)

ジョセフ・コスース「1つと3つの椅子」

椅子が三つある。でも、見えているのは「一脚」だけ?

現代美術の作品を前にすると、「これは何を意味しているんだろう?」と戸惑うことがあります。
ジョセフ・コスース《1つと3つの椅子(One and Three Chairs)》も、まさにそんな作品のひとつです。

展示されているのは、ごく普通の椅子。
その隣には、同じ椅子の写真。さらにもう一つ、「chair(椅子)」という英単語の辞書的な定義文。
──ただそれだけで構成された作品です。

ですが、この作品は、「椅子とは何か?」という問いを私たちに投げかけてきます。
物としての椅子、像としての椅子、概念としての椅子。
この3つはすべて「椅子」を示してはいるものの、それぞれ異なる手段で、異なる層の意味を伝えようと試みました。

私たちが“何か”を理解するとき、
本当に「見る」ことによって成立しているのか?
それとも「知っている」と思い込んでいるだけなのか?

【今日の一枚】では、そんな私たちの認識を揺さぶる作品をご紹介します。

ジョセフ・コスースとは?

ジョセフ・コスース(左) 出典wikimedia commons

ジョセフ・コスース(Joseph Kosuth, 1945–)は、アメリカ・オハイオ州生まれのアーティストです。
1960年代後半、まだ20代前半だった彼は、当時のアートの常識を大きく揺さぶるような作品を次々と発表し、コンセプチュアル・アート(概念芸術)と呼ばれる新しい芸術の動きを牽引していきました。

代表作《1つと3つの椅子(One and Three Chairs)》をはじめとして、《Art as Idea as Idea》シリーズなど、彼の作品には一貫して「意味とは何か」「芸術とは何か」を問い直す視点があります。
そこでは、視覚的な美しさや技術ではなく、概念そのものが作品の中心となっています。

1969年には、自身の考えをまとめた論文《Art after Philosophy(芸術以後の芸術)》を発表し、「芸術の意味を問い続けること」こそが、現代におけるアートの本質だと明確に打ち出しました。
作品を“作る”ことよりも、それが“なぜ芸術とされるのか”を考える──そんな姿勢が当時の芸術界に大きな衝撃を与えました。

彼と同じ時代には、ソル・ルウィットやローレンス・ウィナー、ダニエル・ビュレンといったアーティストも活動していましたが、コスースは特に、哲学や言語理論との深いつながりを持った存在として知られています。

その思想的背景として、もっとも大きな影響を与えたとされているのが、20世紀オーストリア出身の哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン。
「言葉の意味は、その使われ方によって決まる」というウィトゲンシュタインの考えに強く共鳴し、コスースは実際にその著作を作品に引用することもあったほどです。

ウィトゲンシュタインの思想に影響を受けたコスースは、「イメージはいつも不完全なものだ」と考えていました。
見ることだけでは本質にはたどり着けない──だからこそ、視覚よりも思考の動きや概念の構造こそが、芸術の中心になるべきだと考えたのです。

こうした視点は、「作品そのもの」ではなく、その背後にある問いや仕組みにこそ意味を見出すという、現代美術の重要な考え方につながっていくこととなりました。
今もなお、多くのアーティストに受け継がれているその流れの、ひとつの出発点となったのが、コスースの姿勢だったのです。

《1つと3つの椅子》が投げかける問い

ジョセフ・コスース「1つと3つの椅子」

《1つと3つの椅子》は、1965年に制作されました。

この作品は、のちに“One and Three(ワン・アンド・スリー)”シリーズとして展開されることになるもので、椅子のほかにも、ランプやシャベルといった身近な日用品を扱った作品が存在します。
いずれも〈実物〉〈写真〉〈言語〉という三つの異なる表現形式を用いて対象を提示する構成となっており、中でも《三つの椅子》は、最も広く知られた代表作として位置づけられています。

《1つと3つの椅子》はコスースが20代前半に制作した作品ですが、当時のアート界に大きな驚きを与えました。
なぜならそこにあるのは、ただ一脚の椅子と、その椅子の写真、そして「chair(椅子)」という言葉の定義文──それだけだったからです。

けれどこの作品は、三つのものをただ並べているのではありません。
コスースは、
「実物としてのモノ」
「視覚的なイメージ」
「言語による定義」
という、まったく異なる三つの“表現のかたち”を並列に置くことで、私たちに問いを投げかけます。

たとえば、
目の前の椅子は確かに触れることはできますが、それだけでは「椅子」とは何かを説明できません。
写真は見た目を伝えるけれど、そこには質感も重さもありません。
言葉の定義は理屈としては正しいかもしれませんが、そこからはどんな形をした椅子なのかは想像できません。
──それなのに、私たちはどれを見ても「椅子だ」と納得してしまう。

本当にそれで「理解している」と言えるのでしょうか?
コスースは、こうした問いを通じて、私たちの「わかっているつもり」という認識を揺さぶります。

世界を捉えているつもりでも、実は言葉やイメージ、経験といったフィルターを通してしか物事を見ていないのではないか。
そうした認識の構造そのものが、この作品のテーマになっているのです。

《1つと3つの椅子》は、芸術表現の可能性だけでなく、私たちが世界をどう理解しているかという根源的な問いを扱っています。
だからこそこの作品は、哲学・言語学・美術史の枠を超えて、今もなお現代でも重要な作品の一つであり続けるのです。

コスースとコンセプチュアル・アートの時代

1つと3つのランプ
1つと3つのシャベル

1960年代のアートシーンは、ポップ・アートやミニマル・アートといった新しい動きが次々と登場し、色や形といった“見た目”の表現が大きな注目を集めていました。
そうした中で、ジョセフ・コスースは全く別の方向からアートにアプローチします。

コスースは、芸術とは視覚的に“見る”ものではなく、「意味」や「構造」を通して“考える”ものではないか、と問いかけたのです。
「描く」「彫る」「飾る」といった従来の芸術のかたちから距離を置き、「見るアート」から「読むアート」、さらに「考えるアート」へという流れを示した点で、コスースはまさにその芸術の変革の先頭に立つ中心的存在でした。

彼の作品や理論は、「現代美術における“知”の方向性を大きく変えた」と言われています。
アートは感性だけでなく、概念や問いの構造そのものにも目を向けるべき──そんな考え方は、多くのアーティストや研究者、キュレーターたちに影響を与えてきました。

今日では、コスースの作品はMoMA(ニューヨーク近代美術館)をはじめ、テート・モダン(ロンドン)、ポンピドゥー・センター(パリ)、ルートヴィヒ美術館(ケルン)など、
世界の名だたる美術館に収蔵されており、美術の教科書に必ず登場する“現代アートの基本”としての地位を確立しています。

最後に|アートとは“目に見えるもの”だけではない

「これは本当にアートなの?」
初めて《1つと3つの椅子》を見たとき、そう思う人は少なくないかもしれません。

でも、まさにその疑問こそが、ジョセフ・コスースの狙いだったのです。
「アートとは、何かを感じさせ、考えさせるもの」
──この原点を、彼は驚くほどシンプルな構成でかたちにしました。

現在もなお、コスースは世界各地で活動を行いながら、変わらず「芸術とは何か」という問いに向き合い続けています。
その問いは、デジタル社会・情報化社会を生きる現代の私たちにとって、より切実なものになっているのかもしれません。

言葉、イメージ、そしてモノ──。
そのどれが本質で、どれが表層なのか。
あるいは、そんなふうに問いを立てることそのものが、「本質」なのかもしれません。

《1つと3つの椅子》は、そうした問いを、作品というかたちで提示しました。
その問いは半世紀以上を経ってなお、考えるという行為を私たちに呼びかけ続けています。

関連記事

【今日の一枚】フェリックス・ゴンザレス=トレス『無題 (今日のアメリカ)』