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2026.09.11

【ルーブル美術館展開催記念】時系列で辿るダ・ヴィンチの肖像画と《美しきフェロニエール》

はじめに

レオナルドの自画像(1513 – 1515年頃 トリノ王宮図書館)

2026年9月9日より「ルーブル美術館展」(東京・六本木 国立新美術館)がスタートしました。展覧会の注目は《美しきフェロニエール(ミラノの貴婦人の肖像)》で、レオナルド・ダ・ヴィンチ作品としては実に1974年の《モナ・リザ》来日以来、52年ぶりとなる来日です。
ダ・ヴィンチは寡作ながら複数の肖像画を遺しており、中には世界的な名画として取り扱われる作品が含まれます。今回は《美しきフェロニエール》と共にダ・ヴィンチの作品を制作年代順に振り返り、その軌跡とレガシーについて考えます

時系列で見るダ・ヴィンチの肖像画

  • 《ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像》

    • 制作年:1474–78年頃(諸説あり)
    • 所蔵元:ナショナル・ギャラリー・オブ・アート(ワシントンD.C.)
    • フィレンツェの銀行家の娘ジネーヴラを描いた、ダ・ヴィンチ最初期の独立した肖像画とされています。
      3/4正面の構図と、背景に生きた風景を配した点が当時としては革新的で、後のルネサンス肖像画の方向性を示す作品と評価されています。
      元々は腰までの全身像で両手に花を持っていましたが、後世に下部が切断され現在のバスト・ポートレートになっています。
      裏面には月桂樹・ヤシ・ジュニパーの花輪と「美は徳を飾る」の銘があり、絵画全体を「表裏一体の寓意装置」として読むことができる点も特徴です。

 

  • 《音楽家の肖像》

    • 制作年:1483–90年頃(諸説あり)
    • 所蔵元:アンブロシアーナ絵画館(ミラノ)
    • 黒髪で暗い背景に浮かび上がる青年男性が、楽譜らしき紙を持ってこちらを見つめる、ダ・ヴィンチ現存唯一の男性肖像です。
      モデルは不明で、ミラノ宮廷の音楽家やスフォルツァ家関係者など諸説あります。
      顔の部分の光の扱いや心理的表現はダ・ヴィンチの手によるものと広く認められる一方、衣装や背景に工房の関与を指摘する説もあり、「顔はダ・ヴィンチ、他は助手」という折衷的評価が一般的です。
      また未完成のまま残された点も、いかにもダ・ヴィンチらしいと言えるでしょう。

 

  • 《白貂を抱く貴婦人》

    • 制作年:1489–90年頃
    • 所蔵元:チャルトリスキ美術館(クラクフ、ポーランド)
    • ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの愛人チェチーリア・ガッレラーニを描いたとされる肖像です。
      身体は右を向きながら顔は左を向く「体重移動(contrapposto)」的なポーズと、画面外からの「見えない訪問者」を意識させる視線が、静止した肖像に心理的緊張と物語性を与えています。
      白貂(エルミン)は貞潔の象徴であると同時に、ルドヴィーコが属した「エルミン騎士団」や、チェチーリアの名前との掛詞など、複数の寓意解釈が可能です。背景は当初明るい青色でしたが、後に暗色に塗り替えられたとされます。
      ポーランドではナチスによる略奪・戦後の返還という来歴も持ち、国家的な名画として扱われています。

 

  • 女性の肖像(誤って「ラ・ベル・フェロニエール(美しきフェロニエール)」として知られる

    • 制作年:1490–96年頃(諸説あり)
    • 所蔵元:ルーヴル美術館(パリ)
    • 額に宝石の帯(フェロニエール)を巻いた貴婦人を描いた、ミラノ期を代表する肖像です。
      モデルについては、ルドヴィーコの愛人ルクレツィア・クリヴェッリ説や、イザベラ・デ・アラゴン説など諸説あります。
      当時の肖像に多かった硬直した正面向きや厳格な横顔ではなく、首を捻って斜め後ろを振り返るような半横顔(semi-profile)のポーズが、人物に動きと内面の存在感を与えています。
      ところで、タイトルにある「誤って「ラ・ベル・フェロニエール(美しきフェロニエール)」として知られる」という長々しい文言は、所蔵元のルーブル美術館による手違いがきっかけとなっています。元々「ラ・ベル・フェロニエール」という作品は、同じくルーブル美術館所蔵の別作品に付けられた名称でした。しかし19世紀前半、新古典主義の画家ドミニク・アングルがこのダ・ヴィンチの肖像画をもとに版画用の図版(下絵)を制作した際、誤って『ラ・ベル・フェロニエール』というキャプション(説明文)を付けてしまい、それが長らく定着してしまったのです。

      《女性の肖像(「ラ・ベル・フェロニエール」として知られる)》(1500〜1510年 作者不詳)

      一部の研究者は、髪や衣装の一部に工房の手が入った可能性を指摘しつつも、鋭い眼差しや光の扱い、質感表現などから「広義のダ・ヴィンチ作」として広く受け入れられています。

 

  • 《救世主(サルヴァトール・ムンディ)》

    • 制作年:1499–1510年頃(諸説あり)
    • 所蔵元:個人蔵(所在は非公表)
    • 右手で祝福の印を示し、左手に水晶の球を持つキリスト像です。特定の個人の肖像ではなく、宗教的図像に基づく理想化された人物表現となっています。
      2017年に史上最高額で落札されたことで注目されましたが、帰属については「一部に関与を認める説」と「工房作または後世の修復が大部分を占める」とする慎重な見方が併存し、広く認められている程度にとどまります。
      修復の度合いが大きく、本来の姿をどこまで復元できるかが議論の中心です。

 

  • 《ほつれ髪の女(ラ・スカピリアータ)》

    • 制作年:1506–08年頃
    • 所蔵元:パルマ国立美術館(イタリア)
    • 乱れた髪をした女性の頭部を、茶色系の下地に白と黒を主とした最小限の色彩で描いた小作品です。
      特定のモデルは不明で、聖母マリアや寓意的人物とする説もありますが、決定的な同定はありません。
      筆致というよりは「土(アース)」や顔料を指や布で擦り込むような独特の技法が用いられ、彼の実験的な制作態度を体現しているとされます。
      帰属については広く認められているとする見方が多い一方、慎重な研究者も少なくありません。

 

  • 《洗礼者ヨハネ》

    • 制作年:1507–16年頃(1513–16年とする説も)
    • 所蔵元:ルーヴル美術館(パリ)
    • 暗闇から浮かび上がるように描かれた洗礼者ヨハネが、右手で天を指し、謎めいた微笑みを浮かべています。
      聖人像でありながら、特定の人物の肖像というよりは、内面的な霊性と身体性を一体化させた理想像として解釈されることが多いです。
      極端な明暗対比(キアロスクーロ)と、輪郭をぼかすスフマートが徹底されており、晩年の画風を最も純粋に示す作品の一つと評価されています。
      一部の文献では「ダ・ヴィンチ最後の絵画」と位置づけられています。

まとめ:《美しきフェロニエール》の美術史における位置付け

このように制作年代順に作品を追っていくと、ダ・ヴィンチの肖像画がどのように深化していったかが明確に浮かび上がってきます。初期の《ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像》で示された革新的な3/4正面の構図から出発し、やがて晩年の《洗礼者ヨハネ》に見られるような、内面的な霊性と身体性を一体化させた普遍的・理想的な人物像へと到達しました。

その変遷の中で、本展の主役である《美しきフェロニエール》は、まさにダ・ヴィンチの人間観察の鋭さが凝縮された「決定的な転換点」に位置づけられます。 かつての肖像画の主流であった硬直した正面向きや厳格な横顔という古い枠組みを完全に脱却し、首を捻って斜め後ろを振り返るような半横顔のポーズを採用したことで、彼は静止した絵画の中の人物に「確かな動き」と「内面の存在感」を吹き込むことに成功しました。

つまり《美しきフェロニエール》は、現実の人間を徹底して観察し、その生命感と心理を写し取ろうとしたミラノ期の集大成であると同時に、後に描かれる《救世主》などの神聖で理想化された人物表現へと向かっていくための、極めて重要な到達点なのです。来るルーブル美術館展では、ダ・ヴィンチの歩みの中で燦然と輝くこの傑作の放つ、圧倒的な存在感をぜひ直接体感してください。