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2021.03.05

海を越えた「赤毛のアン」――カナダ文学の原点を築いたモンゴメリ

Anne of Green Gables 初版本の表紙

 

カナダ文学の金字塔と呼ばれる「赤毛のアン」は、現在も世界中で読み継がれる長編小説であり、日本でも児童書の定番として広く愛されています。本著はカナダ人作家ルーシー・モード・モンゴメリによって執筆された初の長編小説であり、以降11作にわたって刊行された「アン・ブックス」の第1作目にあたります。モンゴメリは「赤毛のアン」の大ヒットにより、一躍人気作家となりました。また、太平洋戦争後に本著は日本でも翻訳・出版され、好評を博します。

今回は、「赤毛のアン」の魅力とモンゴメリの功績、日本への影響についてご紹介しましょう。

ルーシ・モード・モンゴメリ

「赤毛のアン」が確立したカナダ文学の方向性

ルーシー・モード・モンゴメリ(18741130 – 1942424日)は、カナダ東部のプリンス・エドワード島出身。地元のカレッジ卒業後に新聞記者兼雑務係として勤務する傍ら、短編小説家として少しずつ実績を重ねていきます。1906年には牧師のユーアン・マクドナルドと婚約。「赤毛のアン」が出版されたのはそのわずか2年後、1908年のことでした。もともとは結婚前からすでに執筆されていた作品でしたが、完成直後は出版社に持ち込んでも出版を断られ、原稿は自宅の屋根裏部屋でお蔵入りしていました。しかしモンゴメリが結婚後に再度出版社を訪ねると、今度はあっさりと了承を得ることとなります。本著はアメリカ文学の第一人者だったマーク・トゥエインからも絶賛され、世界的なベストセラーとなりました。

物語の中では、偶然の行き違いによって引き取られた孤児院育ちのアンが、周囲との葛藤の中で自分自身と向き合いながら成長していきますが、これは多分に作者の生い立ちが投影されたストーリーとなっています。モンゴメリも幼くして母と死別したために祖父母へ引き取られ、厳格な教育や周囲の変化に苦悩する青春時代を過ごしていました。彼女の半生は決して華々しくはなかったものの、それが読者にとって共感しやすい登場人物と環境の表現につながりました。とくに彼女の暮らしたプリンス・エドワード島の景色は、カナダ人にとって郷愁を誘う原風景として映ったわけです。

この「赤毛のアン」で人気作家となったモンゴメリは、現在ではカナダ文学の草分け的存在として評価されています。もし彼女が地元を嫌って都会暮らしを始めたり、もっと貪欲にキャリアアップを望んでいたら、カナダ文学史は大きく変わっていたに違いありません。

村岡花子

「赤毛のアン」を通してカナダと出会った日本人

日本で初めて「赤毛のアン」が刊行されたのは、1952年のこと。児童向け文学の翻訳者だった村岡花子(1893621 – 19681025日)によって翻訳され、三笠書房から出版されました。逆境の中でも力強く生きるアンの姿は戦後復興に試行錯誤する日本人の共感を呼び、異例の大ヒットとなります。また、プリンス・エドワード島での何気ない日常風景も、日本人にとってはメルヘンチックで夢のような世界として捉えられました。明治時代にはすでに日本から多くの移民が渡っていたカナダですが、「赤毛のアン」を通じてその存在を多くの日本人が知ることとなったのは間違いありません。

また翻訳者の村岡花子もこの大ヒットで評価を高め、以降のモンゴメリの著作や「フランダースの犬」などの翻訳を担当することとなりました。2015年に村岡をモデルとしたNHKドラマ「花子とアン」が放送されたことも記憶に新しいところです。しかし村岡は生涯一度もカナダに渡る機会に恵まれず、そのことを悔やんでいたと言われます。

奇しくも互いの国を土を踏むことはなかったモンゴメリと村岡ですが、与えられた環境の中で輝きを放った彼女たちの姿は、アンの人生と重なって見えます。その中で生み出した作品が海を超えてつながった奇跡は、文学者として、そして表現者としての指針と言えるのではないでしょうか。