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2024.02.01

【今日の一枚】アンリ・マティス「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」1905

アンリ・マティス「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」1905

今回の【今日の一枚】では芸術史を塗り替えた作品「緑の筋のあるマティス夫人の肖像」を取り上げていきたいと思います。

本作はフランスが誇る近代絵画の巨匠アンリ・マティスによって描かれた作品であり、マティスの作品の中で最も重要な作品の一つに数えられています。それほどまでに本作が後世に与えた影響は計り知れず、本作を知ることは近代芸術の原点を知ることといっても過言ではありません。

本記事ではマティスの生涯を振り返った後、マティスが描いた「緑の筋のあるマティス夫人の肖像」の解説を通してマティスが美術史に何をもたらしたのかを簡単に説明してきたいと思います。

それでは解説をして参ります。

マティスの生涯

マティス ポートレート

マティスは1869年にフランス北部の田舎町で生まれました。彼が筆を持ったのは早くはなく、本格的に絵を学ぶようになったのは20歳になってからのことです。パリにあるアカデミー・ジュリアンという美術学校に正規外の生徒から出発し、その後生涯にかけて数多くの作品を残していくこととなりました。

マティスの初期の作品は柔らかい色調で描かれた風景画や静物画です。その作風は当時芸術家にとっての絶対的基準だったサロンでもそれなりに認められ、ある程度の成功を収めていました。しかし、マティスは次第にセザンヌやゴッホの作品に強い影響を受けるようになり、あろうことかアカデミックなサロンに印象派風の作品を発表します。19世紀後半は印象派の作風が徐々に認めらるようになっていたとはいえ、アカデミックなサロンの中では依然として反発も大きくそれが批判されサロンを辞退するまでに至りました。

結果的にはこれがマティスの代名詞ともなった「フォービスム」の開花へと繋がっていくこととなります。

サロンを抜けた後、マティスはより自由な表現、特に自由な色彩を求めるようになっていき、それはやがて「豪奢・平安・悦楽」という作品に結実することとなりました。それはマティスが描いた最初のフォービスム風の作品と言われています。

この作風に自身の方向性を見出したマティスは1905年サロン・ドートンヌに「空いた窓、コリウール」を発表。非常に強い色彩で描かれたその作品は「絵画の錯乱」「言語に絶する幻想」と酷評され、その野蛮な色彩のためにフォービスム(野獣派)というレッテルを張られることとなってしまいました。

しかし、時代の変化とともに芸術の中に多様な表現が認められるようになっていくとマティスの作品も次第に認められ、1920年代には公に認められた存在になります。フォービスムの旗手として名高いマティスでしたが、自身をフォービストと自覚しておらず、ただ一人の画家として自身の描きたい色彩を描き続けました。マティスは自身の求めた色彩を描くために次々と実験的な作品を制作。1930年代後半には大きな病を患い大手術も経験しますが、その後も意欲的に制作を続け、彼の人生の集大成とも言える「ロザリオ礼拝堂」の装飾はベッドの上で制作を行なっていたほどです。1951年にこのプロジェクトを完成させますが、その後1953年に衰弱によって84歳の生涯に幕を閉じました。

マティスは死後も多くの芸術家に影響を与え、とりわけその色彩表現によって新しい芸術の道を切り拓きました。そのためマティスは色彩の魔術師と呼ばれ、ピカソと並ぶ近代芸術を切り拓いた美術史上最も重要な偉人の一人に数えられています。

アンリ・マティス「豪奢・平安・悦楽」1904
アンリ・マティス「空いた窓、コリウール」 1905

【今日の一枚】緑の筋のあるマティス夫人の肖像について

アンリ・マティス「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」1905

改めて今日の一枚「緑の筋のあるマティス夫人の肖像」を見ていきましょう。

本作が描かれたのは1905年で、マティスが「フォービスム」と呼ばれた同年に描かれた作品です。タイトル通り、マティスがマティスの妻を描いたものであり、顔の中央に描かれた緑の筋が特徴的に描かれています。また、同様に大胆な輪郭線を分割線として塗られた紺、緑、オレンジ、ピンクといった色彩も非常に目を引きます。非常に強い色彩から成る作品であっても調和が生まれているのはマティスが色彩を限定し、明るい色と冷たい色を同時に強調して使っているためです。

これこそ先程から何度か出てきている「フォービスム」の特徴でもあります。

フォービスムとは20世紀初頭、フランスで起こった美術運動の一つで一言でいえば「色彩による革命」です。マティス以前の大半の画家たちが「リンゴは赤く」「葉っぱは緑」のように色を描くべきものを説明するために用いたのに対し、フォービズムは自然の色にこだわらず、チューブから搾りたての色そのものの強さ、純粋さ、表現力を愛し、これを画家の本能のままにキャンバスにおきました。

本作に見られるのも自然の色彩にはこだわらない、チューブから搾ったばかりのような鮮明な色彩であり、おそらくマティスが見た現実の光景とは違った色彩であったことでしょう。

 

ではなぜ、マティスは自然の色にこだわらず現実とは違う描き方をしたのでしょうか。

それにはカメラの発明が深く関係していると考えられています。カメラは15世紀頃からすでに存在していたとされており、世界で一番最初の写真が撮られたのは1826年です。それから徐々に改良が加えられ多くの人たちが使われるようになっていきました。

カメラが現実世界を早く、正確にそして鮮明に写しとることができるようになるほど、アートの中にあった現実をリアルに写しとるという絶対的な基準が揺らぐこととなったのです。それにより記録として精密にその瞬間を写しとる写真のような機能はアートの中で意味をなさなくなっていきました。

そこで芸術史の中に登場したのが芸術の中でしかできない表現をしようという機運です。それがマティスの場合、現実とは異なる鮮明な色彩で描いた作品だったのです。マティスはその色彩から描かれた人や自身の心情を描こうと試みました。生涯を通して実験的に行ったマティスの多様な表現は心情を表現するための試行錯誤だったのです。

本作はマティスが「芸術でしかできない表現とは何か」を探究した初期の形であると同時に色彩で新しい芸術の表現方法を示した近代絵画の原点を意味する作品であると言えるのです。

 

 

今回の【今日の一枚】ではアンリ・マティス作「緑の筋のあるマティス夫人の肖像」を解説させていただきました。今回は近代芸術に「色彩の革命」を起こしたマティスの記事でしたが、近代芸術に「視覚の革命」を起こしたピカソについても解説しています。よろしければご覧ください。

 

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