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2022.05.27

【国立西洋美術館初収蔵】アクセリ・ガッレン=カッレラとは何者か?

202249日(土)、国立西洋美術館(東京・上野)のリニューアルオープンに際し、にわかに注目を集めている画家がいます。彼の名はアクセリ・ガッレン=カッレラ。日本人の多くが聞き馴染みがないでしょうが、それもそのはず、彼は北欧フィンランドの出身なのです。現在、フィンランド人にとって国民的画家とも称されるガッレン=カッレラ。そんな彼の作品が初めて国立西洋美術館に収蔵され、現在開催中の展覧会『自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで』でお披露目されています。そうそうたる西洋美術の巨匠に並んで御目見する北欧の雄ガッレン=カッレラとは何者か。今日は簡単にご紹介していきたいと思います。

アクセリ・ガッレン=カッレラ 1865-1931

作者について

アクセリ・ガレン=カッレラは、1865426日にフィンランド西部のポーリでスウェーデン語圏の家庭に生まれました。1878年からヘルシンキでデッサン教室に通い、1881年には退学。その年のうちにパリの名門美術学校アカデミー・ジュリアンに入学しました。

『アカデミー・ジュリアンのブグローの教室』ジェファーソン・チャルファント 1891

1884年にアカデミーを卒業したガッレン=カッレラは、パリとフィンランドを往復しながら本格的に創作活動を開始します。当初はボヘミアンな世界観を描いていましたが、次第にフィンランドの自然へと心が惹かれるようになります。そんな折、フィンランドの民族叙事詩『カレワラ』に着想を得ることで、自らの画風を固めていくこととなりました。

1890年に妻マリーとの結婚。同時期に『カレワラ』へと関連する資料を集め始め、作品にもカレワラニズムが表れていきます。一方で1895年にはベルリンでエドヴァルド・ムンク(1863-1944)と共に展覧会を開催するなど国際的な視野を持ち、ヨーロッパの主要都市で広く活躍しました。しかし彼自身は常にフィンランドに愛着を持ち続け、フィンランドの最も人里離れた自然のままの地域の物語や風景を描くためにたびたび帰国しています。

また1918年には息子と共にフィンランド内戦の戦線で戦闘に参加するなど、創作以外でも常に愛国心の強い人物でした。

しかし193137日、コペンハーゲンでの講演から戻る途中、ストックホルムで肺炎により急逝します。享年66

作品について

『ケイテレ湖』1904-1906 アクセリ・ガッレン=カッレラ 国立西洋美術館

今回、国立西洋美術館に収蔵された作品『ケイテレ湖』は、1904年から1906年にかけて描かれた作品です。

水面の銀色が印象的な風景画ですが、当時のヨーロッパのアートシーンでは屋外で被写体の前に直接描くことがトレンドであり、それをガッレン=カッレラは『カレワラ』とフィンランドの自然によってその流行を取り入れました。さらに象徴主義の装飾的な抽象表現を融合させることで、より明確に自分自身を表現したと言えるでしょう。

1895年にインピ・マルヤッタを失ったガッレン=カッレラは、その怒りと悲しみを作品にぶつけることでこの悲劇と向き合い、同時に『サンポの防衛』など代表作を次々に生み出します。その後、1900年にパリ万博でフィンランド館にフレスコの壁画を描くなど、再び精力的な創作活動に取り組むと、1908年にパリ、1909年にケニアへ移住し、表現主義的な作風へと変化していきました。いわば本作はフィンランドとカレワラへの傾倒が最初のピークを迎えた時期であり、また新たな表現世界へと移行する転換期であったと言えるでしょう。

『サンポの防衛』 1896 トゥルク美術館

『ケイテレ湖』は、ガッレン=カッレラを語る上ではもちろん、フィンランドの芸術表現や思想を語る上でも極めて重要な作品です。『自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで』を見に行く際には、ぜひ注目してほしいと思います。

国立西洋美術館 ※撮影は休館前

 

国立西洋美術館『自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで』
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