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2022.05.11

【今日の一枚 】レイセルベルへ作「マルグリット・ヴァン・モンスの肖像」

目にした瞬間、思わず引き込まれてしまいそうな瞳です。果たして彼女はどこを見ているのでしょうか?

また、彼女はその細い指先で金のドアノブに手をかけています。果たして彼女はどこから来たのでしょうか? もしくはどこへ行こうとしているのでしょうか?

一見すると単純な肖像画です。しかし見れば見るほど疑問が湧いて来ます。そしていつしか、彼女のことで頭がいっぱいになっていくのです。

今日の一枚は、そんなミステリアスな作品「マルグリット・ヴァン・モンスの肖像」です。

『マルグリット・ヴァン・モンスの肖像』 1886年 ゲント美術館

作者について

作者のテオ・ファン・レイセルベルヘは、24歳の若さでこの作品を描き上げました。若くしてこの魅力的な作品を描いた画家は、しかしこの後、まったく異なる世界観へと突き進んでしまうのです。

テオ・ファン・レイセルベルヘ(本人による自画像)1916年

レイセルベルへはゲントに暮らすフランス系一家の息子として生まれました。地元の美術学校で腕を磨き、18歳にして地元サロンの有資格者になります。翌年には早くも初個展を開催するなど、希代の早熟画家だったと言っても過言ではないでしょう。

そんな若きレイセルベルへに大きな影響を与えたのが、アメリカのホイッスラーでした。1883年に結成された20人展に創設メンバーとして参加したレイセルベルへは、招待画家として出展したホイッスラーの作風から大いに刺激を受けます。1885年に描いた「オクターヴ・モースの肖像」にはその影響が各所に見受けられ、若きベルギー人画家にとって彼の存在がいかに大きいものであったかは想像するに難くありません。

ホイッスラー(本人による自画像)1872年頃 デトロイト美術館

解説

表題作もまた、そんな最中に描かれた一枚です。全体にモノトーン寄りの抑制された色調に、金のネックレスとドア装飾が映えている様子は、ホイッスラーの代表作『灰色と黒のアレンジメント母の肖像』を連想させます。

『灰色と黒のアレンジメント-母の肖像』1871年 オルセー美術館
『マルグリット・ヴァン・モンスの肖像』 1886年 ゲント美術館

本作のモデルとなっているマルグリット・ヴァン・モンスは、レイセルベルへの友人エミールの娘で、当時まだ10歳の少女でした。その物憂げで大人びた表情からは、少女らしからぬ神秘的で奥深い人間としての存在感が見て取れます。ホイッスラーは現実世界を二次元世界で表現する絵画から脱却し、色彩と形態の組み合わせによって調和のとれた画面を構成することを求めていました。本作は一見するとホイッスラーのスタイルを踏襲しているように見えます。ドアノブを握って正面を見据えるポーズは、部屋を出ようとしてドアを開けているのか、もしくは部屋に入ってドアを閉めようとしているのか、と考えさせます。しかしよく見れば扉は両開きで、マルグリットは自分と反対側のドアのノブに手をかけており、これでは部屋を出るにも入るにも不自然です。つまり彼女のポーズはあくまでポージングされた結果であり、レイセルベルへが求めた形態の一つだったと言えるでしょう。

右手の拡大図。もしドアを開閉するなら、左のノブを握っているのは不自然と言える。

一方で本作に描かれているマルグリットの表情には際立った存在感があり、ホイッスラーの理想とした調和の画面構成を敢えて崩しているかのようです。これは、彼と同じく20人展のメンバーに名を連ねていたクノップフら象徴主義の影響があったと考えられます。

フェルナンド・クノップフ

 

『マルグリット・クノップフの肖像』1887年

当時のアートシーンでは、ホイッスラーの思想の方が最先端とされ、彼と道を同じくしていたのがセザンヌやゴッホらポスト印象派の画家達でした。一方でレイセルベイへは当時23歳、パリから遠く離れたベルギーで、自分の世界観の確立に試行錯誤する日々を送っていました。彼の作風はパリのアートシーンから離れていたかもしれませんが、その若々しい描写には流行の変化に左右されない魅力を湛えています。

マルグリットは絵のモデルを務めた当時、母親の急逝という不幸に見舞われた直後にあり、まさに絶望のどん底にあったと言われます。レイセルベルへは深い喪失感にあった彼女の表情から、わずかに垣間見えたリラックスした瞬間を捉えたのです。本作におけるマルグリットの黒くて深い瞳はメランコリックな印象を与える一方、目を開け、そっと口を開けている表情はどこか幻想的に映ります。

表題作の拡大図。わずかに口が開いているのが見える。

 

その後

『浴女』1910年 オーステンデ美術館

「マルグリット・ヴァン・モンスの肖像」は完成後まもなくエミールに贈られたため、外部で特別評価されることはありませんでした。さらに作品が完成した1886年、レイセルベルへはパリで『グランド・ジャット島の日曜日の午後』を目にしたことで、点描画へと没入していくこととなります。この出会いがきっかけで新印象派という最先端の画風がベルギーに紹介され、レイセルベルへはその立役者となりました(ジェーン・ブロック著「新印象主義の肖像画」)。しかし点描画という画法自体に1910年ごろを境に点描画法を止めると、フランスのニースで陽光の溢れる作風へと舵を切ります。画風から言えば印象派やゴッホらに近く、その明るく幸福感に満ちた作品は、「マルグリット・ヴァン・モンスの肖像」の神秘的な世界観と真逆なものでした。レイセルベルへはその後もフランスの地中海沿岸で妻子と共に居住し、ベルギー画壇から距離を置き続けます。そして192612月、フランスのヴァールで永眠。享年64でした

またマルグリットは、24歳の時に弁護士で詩人のトーマス・ブラウンと結婚し、8人の子をもうけています。しかし1919年に43歳の若さでこの世を去りました。

最後に

その人生で何度も作風を変更したレイセルベルへですが、ヨーロッパではいずれも高い人気を誇ります。残念ながら個人蔵の作品が多いため、公の場で彼の作品を目にする機会は多くありません。日本で知名度がさほど高くないのも、彼を扱った企画展が極めて少ないことと無関係ではないでしょう。しかし点描画期に描いた「Port de Cette」は2005年にニューヨークのオークションで260万ユーロの高値で落札され、改めてその人気ぶりが実証されました。

『Port de Cette』 1892年

「マルグリット・ヴァン・モンスの肖像」は、ホイッスラーに影響を受けていた20代前半から点描画への転換期の傑作であり、彼の代表作として点描画の作品を差し置いて取り上げられることも少なくありません。すでに19-20世紀の画風がすべて過去のものとなりつつある現在、純粋な美としてこの作品が支持されているのではないでしょうか。そしてその中心にあるのは間違いなくマルグリットであり、彼女の薄幸な人生がストーリーとしていっそうの深みをもたらしていると言えるでしょう。

 

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