2022.07.11
【今日の一枚】ジャン=レオン・ジェローム「灰色の枢機卿」
【今日の一枚】ジャン=レオン・ジェローム「灰色の枢機卿」
どこの王宮かと見紛うばかりの大階段に、多くの人々が往来しています。ただし混み合っているのは向かって左側ばかりで、反対に右側は閑散と呼ぶにふさわしいほどの空き具合。その中をただ一人、坊主頭の修道士が降りてきます。左側の往来者たちの視線はいずれもこの修道士の男に注がれていますが、当の修道士の方は一向に意に介する様子もなく、手元の本に目を落としています。
彼らの身なりも対照的です。往来の人々が贅を尽くした煌びやかな服装で着飾っているのに対し、修道士の方は質素そのもの。それでいて慎ましいという風は少しも無く、むしろ圧倒的な存在感を放っています。タイトルにある「灰色の枢機卿」とはもちろんこの修道士のことであり、彼の修道服はいかにも「灰色」と呼ぶにふさわしい質素な色合いです。この修道士の名はフランソワ・ルクレール・デュ・トランブレー、通称「ジョゼフ神父」「灰色の枢密卿」。通称絵が制作された当時はすでに故人でしたが、正真正銘、実在の人物です。本稿では、この絵の主役であるトランブレーに焦点を当てて簡単にご紹介していきたいと思います。
作者について
しかしそれはあくまで演出上の話であり、絵の腕は確かでした。作品は写実的な大作が多く、外国(中近東・アフリカ)の景色や歴史画を好んで描いています。本人の好みもあるのでしょうが、外国の知らない景色や歴史のドラマティックな光景は買い手が付きやすかったという一面もあり、自分が描きたいかよりも売れやすさを意識していた職人気質の画家だったようです。ヌードが多かったのもそういった背景があったのかもしれません。いやそれしか考えられません。
しかし1860年ごろから画商を通じて国際的にも高額で作品が取引されるようになると、1867年発表の「カエサルの死」をはじめとして、次第に自分の描きたいものもモチーフに取り入れるようになっていきます。1873年に描かれた「灰色の枢機卿」は、まさにそんな時期に描かれた作品なのです。
作品解説
上記の通り、画面の左右で鮮やかすぎるほどの対比構造が演出されています。階段の混雑具合、人々の服装の鮮やかさは先ほど述べましたが、光の陰影にもご注目ください。向かって左の上から斜めに外から陽の光が差し、トランブレーを明るく照らしています。一方で左手の人々には影が背中から迫り、いかにも引き立て役のような印象です。
また画面を縦に二分すると、向かって右手の壁には大きな紋章のタペストリーが架けられています。実はこの紋章こそこの絵の一番重要なパーツであり、トランブレーという人間ならびに当時の政治背景の象徴なのです。
「灰色の枢機卿」トランブレーという男
とくにフランス宰相にして枢機卿およびリシュリュー公爵アルマン・ジャン・デュ・プレシー、通称リシュリューとの蜜月関係は有名で、1612年に親交を深めると、1619年のルドゥン会議で教皇使節と王妃マリー・ド・メディシスの腹心として参加します。以降、トランブレーはリシュリューの下で様々な謀略を巡らせ、1627年のラ・ロシェル包囲戦や三十年戦争などで暗躍しました。その理念は主に聖職者としての信仰に基づいており、神聖ローマ帝国の否定やオスマン帝国への十字軍派遣などを盛んに促しています。
リシュリューもその手腕を高く評価し、最終的には陸軍大臣を任せるなどトランブレーを重用しました。しかし1638年、ヴェストファーレン条約の準備に参加していた最中に亡くなります。当時リシュリューは枢機卿にトランブレーを任命しようとしていましたが、ついに叶うことはありませんでした。
ちなみにリシュリューという人物も、フランス史上を代表する憎まれ役です。ルイ13世の宰相として主に中央集権体制の確立と王権の強化に尽力する一方で敵対勢力に対しては容赦がなく、少しでも自身の方針に歯向かう人間は逮捕や処刑などあらゆる手段で排除しました。そのため貴族階級や宗教団体からは嫌われ、リシュリューが亡くなるまで排除の策謀が絶えなかったと言われます。そんな悪役政治家と、彼を謀略によって支える謎の修道士。まぁ嫌われないわけがありません。「枢機卿の余暇」は、リシュリュー死後200年も経ってから描かれた作品であり、二人が猫と一緒に一つの部屋で仲良く過ごしていたかは定かではありません。ただし猫好きだったことは有名で、作者のシャルル・エドゥアール・デロルトはこの作品に「リシュリューの好きなもの」というテーマを込めて皮肉ったというわけです。
話題を作品に戻しましょう。「灰色の枢機卿」に描かれているタペストリーの紋章の件ですが、持ち主がリシュリューであることは言うまでもありません。リシュリューという実質的な最高権力者の威光を後ろ盾にして自らの政治を強引に押し進めるトランブレーの本性を、ジェロームは紋章と人物の立ち位置によって明確に表現したわけです。またうやうやしく挨拶したり侮蔑の視線を投げかける人々は身なりこそ立派ですが、実際は粗末な修道服に身を包んだ坊主をうらやみ妬んでいたことを皮肉っているのです。
灰色の枢機卿という言葉はジェロームがこの作品を描く以前から存在しました。しかしこのように権力を批判的に捉える題材を描くことはフランス政府から多数の仕事を請け負っていたジェロームのそれまでの制作履歴に相反するものと言えます。こうした傾向は作品が政府以外でも高値で取引されるようになってから見られるようになったものであり、1868年には「ネイ元帥の処刑」というフランス史において物議を醸した事件を描いています。
職人的で体制寄りの画家として知られるジェロームですが、この作品では売れるかどうかよりも自らの表現したいものに比重をかけたのでしょう。果たしてこの試みは見事に成功し、作品は高い評価を受けました。
「灰色の枢機卿」は、2022年7月23日より「ボストン美術館展」(東京都美術館)にて公開されます。印象派の敵役となった男が捉えた17世紀フランス政界の敵役の姿を、ぜひその目でご覧いただければ幸いです。
作品ギャラリー
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