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2022.07.22

【今日の一枚】マルセル・デュシャン「泉」

アートの認識を変えた「モノ」

マルセル・デュシャン「泉」1917 (出展:ja.wikipedia.org/wiki/泉_(デュシャン))

1917年、ニューヨークアンデパンダン展に「泉」という作品が出品されました。それが今回させていただく【今日の一枚】です。この作品が芸術史で最も鮮烈なスキャンダルを引き起こしました。というのもこの作品は商店のショーウィンドーに飾られてある男性用便器に「R.MATT」と署名しただけの「モノ」だったからです。

この作品が出品された当初は酷評に次ぐ酷評でしたが、この作品は今では「現代アートの源泉」として高く評価されています。

なぜ一つの便器が現代アートの礎となったのか、今回はその理由を「マルセル・デュシャンの生涯」と「アートの認識を変えた「モノ」」という点から紐解いていきます。

「マルセル・デュシャンの経歴」

マルセル・デュシャン ポートレート (出展:www.wikiart.org)

デュシャンは1887年、フランスのノルマンディー地方の裕福な家庭に生まれました。デュシャンは兄の影響で少年時代から絵を描き始め、1904年からパリへ移り本格的に絵を学び始めます。デュシャンがパリに移った20世紀初頭は、パリが芸術の都となり新しい芸術が一気に開花した時代。デュシャンもこの時代の様々な新しい芸術の流れに影響を受けて作品制作をしていました。しかし1912年に油絵を複数制作して以降、油絵をほとんど制作しなってしまいます。代わりに「美しいというような感動を感じさせない、関心すら湧かないようなもの」を基準に選んだ自転車の車輪、ビン掛け、シャベルといった「既製品」を「レディ=メイド」という概念で作品にするようになりました。【今日の一枚】で紹介させていただく「泉」も彼のその考えの中で制作?された作品の一つで、ただ男性用便器にサインをしただけの「モノ」です。それを1917年にニューヨークで出品し、それが美術史上最もスキャンダラスな事件を引き起こしました。

「泉」を発表してからというもの、デュシャンはほぼ作品制作をしなくなり、芸術とは無縁のチェスプレイヤーとなります。しかし、それから30年後のポップアートやジャンクアート(がらくたを寄せ集めるなどで作ったアート作品)の流行と共にデュシャンは再評価されることとなり、以降デュシャンは一躍有名な芸術家として知られるようになりました。だからといってデュシャンはその後の芸術の流れに身を投じるわけではなく、芸術と距離を保ったまま1968年に亡くなります。

デュシャンは作品を制作していた時期がかなり限られた期間だけだったため、寡作な芸術家としても知られています。にも関わらずデュシャンは「美術史上最も影響を与えた人物」と称され、「泉」は200412月、世界の芸術をリードする500人に最もインパクトのある現代芸術の作品を5点選んでもらうという調査の結果、堂々の1位(2位はピカソ)を獲得しました。デュシャンは現代でもなおアートを変えた伝説的な人物として広く知られています。

アートの認識を変えた「モノ」

マルセル・デュシャン「泉」1917 (出展:ja.wikipedia.org/wiki/泉_(デュシャン))

改めて【今日の一枚】マルセル・デュシャン「泉」を見ていきましょう。

男性用の便器が横になって置かれており、そこにR.Mattとサインがされています。この作品は上の説明でも少し触れた通り、デュシャンがレディ=メイド(既製品)と呼んで制作したもので、その名の通り便器自体もデュシャンが作ったものではありません。売られている「モノ」(既製品)に芸術家がサインをしただけです。そのため本作においては、色彩や造形が美しいかどうかではなく、「これで作者は何がしたかったのか」を考えることが重要になります。

結論からお伝えするとデュシャンはこの作品を発表することによって「芸術の新しい見方」を作り出しました。デュシャンは便器が美しい芸術だと示したのではなく、アートを見るという行為に「考える」という行為を付け加えたのです。

「泉」が発表される1917年は一般的に芸術=美しいものと考えられていた時代です。20世紀初頭は新しい芸術の表現が世界各国で生まれ、人間の視点からでは見えないものが画面に描かれるようになったり、四角や三角といったただの図形だけがキャンバス上に描かれるようになるなど、それまでのアートの枠には収まらない表現がされるようになりました。当時それらの表現は心底人々を驚かせたそうですが、デュシャンという人物はさらにアートに対しての考えを進めて「これは何?って考えること自体がアートと言えるんじゃないか」と考えたわけです。

「泉」は1917年にアメリカのアンデパンダン展に出品され、展覧会のモットーが「六ドルを支払えば審査なしでだれでも出品できる」ことだったにも関わらず、「泉」はアート作品とみなされず、酷評され、展示早々に会場から撤去されることとなりました。芸術が「美しいもの」とされていた時代だったということを考えると撤去されて当たり前だったのないかと思ってしまいますが、撤去されることを見越して出品していたと考えられています。と言うのもデュシャンは「泉」が撤去されてすぐ「展覧会のモットーに背く」として抗議文を送っていたのですが、その抗議までの手際があまりにも良過ぎたため、撤去されることは想定済みだったと考えられているようです。
そう考えるとこの一連のスキャンダル(出品から撤去を経て抗議する)までが「アートって何?」と世間に問うためのデュシャンの作品だったのかもしれません。

おそらくこの記事を読んでくださっている方にもアート作品を前にして一度は「これ何なの?」と思ったことがあるのではないかと思います。特に現代アートと呼ばれるものは「これは何」で溢れています。しかし(全てそうだとは言い切れる訳ではないですが)見た人に「これは何だろう」と考えさせることが多くのアーティストの狙いでもあるのです。その今私たちが一見「わからない」アートを前にして「これなんだろう」思うそのプロセスは100年以上前にマルセル・デュシャンという一人の芸術家、そして「泉」という「モノ」から始まったのです。

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