2020.12.09
【美術本紹介】スージー・ホッジ著「5歳の子どもにできそうでできないアート」
今回はこちらの本を紹介させて頂きます。
スージー・ホッジ著 田中正之監修「5歳の子どもにできそうでできないアート 現代芸術(コンテンポラリーアート)100の読み書き」です。著者のスージー氏はイギリスの美術史家で100冊以上の美術の本を出版している人物です。本書では「なぜこれがアートなのか」「アートとは何か」が語られています。個人的に本書はアートの見方というよりはアート思考を深めてくれる本という印象です。この本を読み終わった後、アートに対しての興味は間違いなく広がっていることと思います。
「5さいの子どもにできそう」要するに「子どもでも描けそうな絵」その比喩としてよく使われるのがピカソでしょう。しかし、彼は8才の時にデッサンを描き、それを見た画家の父が絵を書くのをやめたというの有名な逸話があります。もはや絵の精密さ=素晴らしいアートであるとは限らないということです。ピカソに関しては天才的に絵が上手いのにも関わらず逆に子どもにもかけそうなもの、よくわからないものを描いた。それはなぜでしょうか。
ピカソに限らず「よくわからない」アートが19世紀末に新しい芸術様式として生まれてから今日にかけて一層理解しにくいものへと変化し続けています。なぜ芸術はより一層「よくわからない」方向に進んでいくのでしょうか。
その疑問に着目して書かれたのが本書「5歳の子どもにできそうでできないアート 現代芸術(コンテンポラリーアート)100の読み書き」です。
それでは本書の解説をしていきたいと思います。本書の構成は以下の章から成っています。
第1章 オブジェ/玩具
⇨20世紀に入って激変した時代の考え方に対しての賛同または批判した作品を解説
(ダリ、マグリット、ジャスパー・ジョーンズ、ダン・フレイヴィン、ゲイリー・ヒュームなど)
第二章 表現/殴り書き
⇨作者の心の変化や考え方が現れている作品の解説
(カンディンスキー、ヴォルス、ポロック、ジャコメッティ、マーク・ロスコ、ゲルハルト・リヒターなど)
第3章 挑発/かんしゃく
⇨芸術が古来から持っていたイメージを破壊する作品に抵抗した(皮肉った)作品を解説
(デュシャン、アレキサンド・ロトチェンコ、アーシル・ゴーキー、ルーチョ・フォンタナなど)
第4章 風景/遊び場
⇨ここでの風景はどこどこの風景といったわけではなく作家による芸術による芸術のための自身の中にある風景の解説
(マレーヴィッヂ,マティス,ピーター・ドイグ、草間彌生、アイ・ウェイウェイなど)
第5章 人々/怪物
⇨主に情報化社会、マスメディアによって作り上げられた芸術に対しての否定や視点
(ピカソ、ムンク、モディリアーニ、クレー、ウィレム・デ・クーニングなど)
そして本書では下の図のようになぜ子どもには制作できないのか簡単な作品の概要やその詳細が解説されています。
今回は本書の中から鑑賞をする上での新たな視点をもらえるであろう作品を3つ紹介させていただきます。
Contents
1,ルーチョ・フォンタナ 「空間概念・待機」1960年 (キャンバス) 93cm×73cm テート(ロンドン)
この作品は本書の表紙になっていて、第3章の挑発/かんしゃくに分類されています。
スージー氏解説(要約)
第二次世界大戦以前のフォンタナ(1899-1968)は様々なスタイルで絵を描き、45年以降独自の考えに到達した。
それは空間主義の完成だった。技術や社会の急進的な進歩と同様に芸術にも同様のパワーがなければいけないと考えたフォンタナ。この「空間概念・待機」の裂け目には現実と絵画(二次元の絵画と三次元の空間)の一体感を目指すものとして存在している。フォンタナは何世紀にも渡って繰り返された平面性を打ち破ることこそ彼の目標だったという。裂け目は何かの形を表す物ではなく、無限の宇宙や永遠の象徴として刻まれた。
5さいの子どもがこの作品を作れない理由
「子どもにこの精神性(空間主義の概念)を真似することはできないから」
ナイフでキャンバスを切り裂くことは誰でもできるし、フォンタナ自身もこれ自体を新しいテクニックと言っていなかった。
彼のキャンバスを切り裂いた作品には宇宙や永遠の概念、芸術の限界を探ろうという意図があった。ここで行われたことは絵画=平面という概念の破壊だった。
2,サイ・トゥオンブリー 「オリンピア」1957年(キャンバスに鉛筆、色鉛筆、ペンキ、ワックスクレヨン)200cm×264cm 個人蔵
本作品は第5章の人々/怪物に分類されています。
スージー氏の解説(要約)
古代ギリシア・ローマの文化に魅了されていたサイ・トゥオンブリー(1928-2011)は流行していた美術のスタイルには関心を示さなかったが特定の芸術家(フランツ・クラインやパウル・クレー)の表現に強く影響を受け独自の表現を模索した。彼の作品の多くは暗号、詩、神話からインスピレーションを受けている。「オリンピア」には作者自身が作り出した記号や符号が描かれた。目を凝らして見てみると、「ローマ」や「アモール」という言葉が見つかるように古代ローマやギリシアの歴史に関わるモチーフが書かれていることに気付くだろう。ここに描かれているデッサンと油彩画の区別が曖昧で鑑賞者に注意深く観察することを促す。またトゥオンブリーにとってデッサンと油彩の境目をぼやかすことは彼の実験の一つであった。
5さいの子どもがこの作品を作れない理由
一見、子どもでも書けそうな作品だがこの作品には熟練した絵画の技術や深い洞察があって生まれたもの。この作品には古典的な美術や文学についての思索が込められていてさらに人間存在が探求されている。彼の目標は大衆芸術と交渉な芸術の垣根を越えることにあった。
3,ゲルハルト・リヒター「無題(グレー)」1968年 (キャンバスに油絵具)50×50cm 作者蔵
この作品は第2章の表現/殴り書きに分類されています。
スージー氏の解説(要約)
1969年にリヒター(1932-)はほぼグレーの抽象画を描き始める。塗り方を変えることで生まれる質感の違いだけで構成された作品群。この作品はこのシリーズの一つの作品である。
リヒターにとってうちなる精神やエネルギー、解放感を表現する手段として抽象画が必要だった。リヒターいわくグレーは何の感情も連想させたりしない。目立たないので仲介役となり、見えないようにする力がある。反対に無を見えるようもする。人生の悲惨さはそれを覆うグレーを使わなければ表現できないと語った。
この作品の連作では絵具を厚く塗り重ねてから筆やローラー、窓拭き用のワイパーなどを使って画面を擦り、絵具をずらしていく。そこで生まれるものは明快な形をもたずに画家の動きを感じさせるものであり、何か決まった意味を伝えるものではない。
5さいの子どもがこの作品を作れない理由
画面の中に渦を描く、それ自体は単純だ。しかしリヒターはこの作品を描いたときにはすでに優れた画家としての名声を得てた。この作品は連作の中の一つで絶望感、喪失感を掘り下げるために製作されて秘められた真実を表している。真実は絵の中に意図せず現れてくるとリヒターは考えていた。
以上の三点が本書から抜粋させていただいた作品です。
本書は文章量がかなり制限されているので、断定的であったり、情報が不足していたりといったことがありますが広く作品に対しての考え方を知れる本だと思います。
当たり前ですが、この本を読んでいると100作品にページが割かれ、100作分の解説がされています。「わからない」と思われている作品にもそれぞれの理由が付けられているんです。人を魅了する作品や話題になる作品は例外なく作者や評論家、鑑賞者たちによって何かしらの理由や意図が言葉にされています。これは事実に基づくアート思考といってもいいでしょう。
アート思考が重要視される中で同時に現代アートの見方って何という声もよく見かけるように感じます。この本によって現代アートの見方がわかるというわけではありませんし、アートの見方はきっと専門家にとっても簡単に答えられる物ではありません。100年以上前に発生し、今ではすっかり西洋芸術の伝統となっている印象派でさえ当時の人からしたらきっと「よくわからない」現代アートでした。特に現代は前例のないほど急速にアートが変化しています。次々におこるアートの変化は俯瞰できないのである意味現代アートはわからなくて当然なのかもしれません。だからこそ自分の視点から観察すればいいのだと感じます。その幅広い視野を与えてくれる本がスージー・ホッジ著「5歳の子どもにできそうでできないアート 現代芸術(コンテンポラリーアート)100の読み書き」です。気になった方は読んでみることをお勧めいたします。
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スージー・ホッジ著 田中正之監修「5歳の子どもにできそうでできないアート 現代芸術(コンテンポラリーアート)100の読み書き」