ARTMEDIA(TOP) > 【今日の一枚】ヨーゼフ・ボイス「フェルト・スーツ」1970

2024.07.19

【今日の一枚】ヨーゼフ・ボイス「フェルト・スーツ」1970

今回ご紹介するのは、20世紀を代表するドイツの芸術家、ヨーゼフ・ボイスが1970年に制作した「フェルト・スーツ」です。
本作は一見するとただのスーツでしかも形が不格好であり、単なる衣服のように見えます。

しかし、本作にはボイスが体験した記憶や、社会と政治に対する強い思いが反映されています。
本作を通じて、ヨーゼフ・ボイスがアートを通じて何を伝えようと試みたのか。彼の作品の中にある信念や社会的・政治的なメッセージを紐解いてまいります。

フェルト・スーツ 1970

ヨーゼフ・ボイス(1921〜1986)

“Every human being is an artist, a freedom being, called to participate in transforming and reshaping the conditions, thinking and structures that shape and inform our lives.”

(すべての人間は芸術家であり、自由な存在である。私たちの生活に影響を与える考え方、条件、構造を変革し、再構築することが求められているのだ。)

Joseph Beuys Poster  “Energy Plan for the Western Man” 1974

– 生涯とキャリア

ヨーゼフ・ボイスは1921年にドイツのクレーフェルトで生まれました。幼少期から独創的で冒険心に富んでいたボイスですが、第二次世界大戦中にドイツ空軍に所属し、戦争の悲惨さを経験しました。1944年に彼の飛行機が撃墜され、タタール族に救われたという逸話は、その後の彼の人生と芸術に大きな影響を与えました。

戦後、ボイスはデュッセルドルフ芸術アカデミーで学び、その後芸術家としてのキャリアを歩み始めることとなります。教授として登壇にも立ち、「脱アカデミズム」を掲げ、学生たちとに広い視野と独創的な思考を共有しました。
ボイスはパフォーマンスやインスタレーションなどを通じて、社会的・政治的なメッセージを発信し続けました。それにより議論を巻き起こし、一部からは激しい批判も受けることとなりましたが、ボイスは生涯自らの信念を貫き続けました。

 

– 社会彫刻の理念と政治活動

ボイスを知る上で最も重要な概念の一つが「社会彫刻」です。
ボイスは、芸術は単に美的なオブジェクトではなく、社会そのものを変革する力を持っていると考えました。
「社会彫刻」とは、物理的な彫刻のように具体的な形を持たないものの、社会へ個々の人々が積極的に関与し、社会全体をより良い方向に変えていくという広範な活動を指します。「すべての人間は芸術家である…」というボイスの有名な言葉は、「社会彫刻」の理念を的確に表しています。そのためボイスの作品は、自身の理念を体現したものであり、常に社会的・政治的なメッセージを含んでいました。

その代表的なプロジェクトの一つが、1971年にデュッセルドルフで行った「7000本のオーク」です。これは都市緑化と環境保護を目的とした大規模なアートプロジェクトで、ボイスは7000本のオークの木を街に植樹することで、都市の景観を変え、市民に環境保護の重要性を芸術のパフォーマンスで訴えかけました。
またボイスは政治活動にも積極的で、ドイツの緑の党(グリューネ)設立に関与したことが知られています。ボイスの芸術家としての活動は同時に活動家としての活動でもあり、社会と関わりを持ち、芸術が社会を変化させる力を持つことを提唱した初期のアーティストでした。

このボイスの作品や理念は、多くの現代アーティストや社会運動に影響を与えました。アンゼルム・キーファーやマリーナ・アブラモヴィッチ、アイ・ウェイウェイといった現代アーティストも影響を受けた人物としてボイスの名をあげているほどです。彼の生涯にわたる活動は、芸術が社会変革にどのように寄与できるかを考える上で今なお重要な示唆を与えています。

 

フェルト・スーツ 1970

ヨーゼフ・ボイス 「フェルトスーツ」1970

それでは【今日の一枚】ヨーゼフ・ボイス 「フェルト・スーツ」を見ていきましょう。
この一見したところただのスーツには作者の思想や思いがどのよう反映されているのでしょうか。

– 「保護」と「生命」の象徴となるフェルト

「フェルト・スーツ」は1970年に制作され、ヨーゼフ・ボイスの個人的な経験と深く結びついています。前述した通り第二次世界大戦中、彼の飛行機が撃墜され、タタール族に救助された際、部族の人たちはフェルトと動物の脂肪でボイスを包み、彼の命を救いました。この経験によって、フェルトがボイスにとって「保護」と「生命」のシンボルとなったといわれています。

そして本作はボイスの芸術活動が単なる視覚的表現ではなく、社会変革の手段であることを示しています。フェルトスーツは不格好ながらも着ることが可能で、身に纏うことで自身が「社会彫刻」の一部となり、芸術が社会においてどのように影響を与え得るかを体現することとなります。

実際、1978年のバーゼルでデモ行進が行われたとき、本作は「社会彫刻」を象徴するシンボルとして使用されました。
このデモは、ボイスの作品「Feuerstelle」が美術館によって高額で購入されたことに対する抗議を目的としていました。ボイスをはじめとする参加者たちは、高額なアート作品の取引が、芸術の本質を商業化し、社会的・政治的なメッセージを薄めてしまうことへの懸念を表明しました。
ボイスの思想では、芸術は社会変革の触媒であり、その価値は市場での価格ではなく、社会に与える影響にあると考えられていました。このデモは、芸術の商業化に対する批判を通じて、芸術が持つ本来の意義を強調する試みでした。このような作品や活動を通して、ボイスは芸術を通じて環境保護や教育の平等化などの社会的課題に取り組んだのです。

 

– フェルト・スーツと社会彫刻

「フェルト・スーツ」は、ボイスの社会彫刻としての理念を具現化したといえる作品です。重複しますが、ボイスは、「社会彫刻」という概念を通じて、個々の人々が社会変革に積極的に関与することの重要性を訴えました。ボイスの視点では、芸術は単なる視覚的表現にとどまらず、社会全体をより良い方向に導くための触媒として機能するべきだと考えました。

では、なぜボイスは社会的な活動を行うほどの強い信念を持っていたのでしょうか。その理由には、ふたつの背景があります。

まず、一つ目が「ルドルフ・シュタイナーの人智学」の影響です。
シュタイナーの人智学は、人間の精神的な成長と社会の調和を重視し、ボイスはこの思想に深く共感しました。シュタイナーは、人間一人ひとりの内なる力を引き出し、それが社会全体の調和と発展につながると説きました。この影響を受けたボイスは、自分の芸術が人々の意識を変え、社会をより良くするための一助となることを使命と感じるようになったとされています。精神的な成長と社会変革の手段として捉え、自身の作品を制作したボイスにはこのシュタイナーの人智学の影響が顕著に表れています。

そしてふたつ目に「フルクサス運動」との関わりです。
フルクサス(Fluxus)運動は、1960年代にアメリカやヨーロッパで始まった国際的な芸術運動です。この運動は芸術と日常生活の境界を曖昧にし、社会変革を目指すものでした。この運動は、芸術が特権階級のものであるという概念を打破し、誰もが芸術にアクセスし、参加できることを目指しました。その代表的な芸術家にはボイスの他にヨーコ・オノ、ジョン・ケージなどがいます。
ボイスはこの運動に共感し、自らの芸術が社会的・政治的メッセージを伝える手段であることを確信しました。フェルト・スーツを着てデモ行進はまさにフルクサス運動の思想を反映したものでした。

ボイスがこれらのことから影響を受けた背景には、間違いなく戦中戦後の混沌とした時代背景が関連していると考えられています。
戦後のドイツ社会は、戦争の傷跡と復興の過程で大きな変動を経験しました。混乱と再生の中で、ボイスは社会の中で自分の役割を模索し、芸術が社会を癒し、再生させる力を持つと信じました。この信念は彼の活動全体を通じて貫かれています。

彼の活動は、現代の社会彫刻としてのアートの可能性を拡張した行為そのものであり、今なお多くの人々に影響を与え続けています。ボイスはフェルトスーツをはじめとした全ての作品で、アートは社会変革の手段としての力を持っていることを主張し続けたのです。

世界が大きな混乱にある現在、今最も知っておきたい作品こそヨーゼフ・ボイスの「フェルトスーツ」なのかもしれません。
きっとボイスの残した作品や言葉を知ることで、重要な示唆を得ることができるでしょう。

 

–  関連記事