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2024.09.06

【今日の一枚】ルイーズ・ブルジョワ 「ママン」

“I became an artist – to find a mode of survival.”
(私は生き残る方法を見つけるために、芸術家となった)

「ママン」グッゲンハイム美術館

【今日の一枚】では、現代アートの巨匠ルイーズ・ブルジョワの代表作「ママン」をご紹介いたします。
まるで異世界からやってきたようなこの巨大な蜘蛛の彫刻は、圧倒的な存在感で観る人を惹きつけます。六本木ヒルズの広場にもパブリックアートとして展示されているので、見たことがある方も多いかも知れません。
街中にあるからこそ見過ごされがちですが、実は本作品には作者のブルジョワが抱えた深く、個人的な物語が込められています。

作品の背景やブルジョワの芸術的思想に触れれば、「ママン」がなぜ現代アート界で高い評価を受けているのか、より深く理解できるでしょう。この記事を通して、ブルジョワの制作の裏にある物語と彼女が伝えたかったメッセージに迫ります。

巨大な蜘蛛の彫刻、「ママン」

「ママン」グッゲンハイム美術館

「ママン」は、ルイーズ・ブルジョワの最も有名な作品として知られています。高さ約9m、横10mにも及ぶ巨大な彫刻作品ですが、地面に降ろされた鋭い8本の足は躍動感に満ち溢れ、今にも動き出しそうな雰囲気を醸し出しています。
彫刻の中心にある腹部は下の方が網状になっていて、卵が透けて見える構造になっています。タイトルにもあるように「ママン」はフランス語で「母」を意味しており、必然的にこの蜘蛛はメスであることがわかります。
さらに実際のクモは、卵を産んだ後、卵嚢(卵を守るための袋)を作り、その卵嚢を自分の体に付けて運ぶ、あるいは巣の中に隠す生物です。この卵嚢を守る役割は通常メスであるため、そのことからもこのオブジェがメスをモチーフにしているものだということがわかります。

それではなぜ、ブルジョワはなぜメスの蜘蛛を制作したのでしょうか。

「ママン」がメスの蜘蛛であるワケ

「ママン」がメスの蜘蛛である理由は、彼女の母への深い敬意と愛情を象徴しているためです。

この巨大なクモの彫刻、ママンは1999年に初めて展示され、ブルジョワが長年探求してきたテーマ、すなわち家族、母親の存在、そして個人的な女性性を視覚的に表現しています。

“My work is obsessive. It doesn’t concern the audience. I don’t mean that I am not interested in the audience – but it is not my motivation.”(私の作品は強迫的なもの。観客のことは気にしていません。観客に興味がないわけではありませんが、それが私の動機ではないのです。)

という言葉からもわかるように、ブルジョワの制作は多くの場合、個人的でありそして自伝的な要素に基づくことが多いことが知られています。

蜘蛛というモチーフは、織物を修復を生業としていたブルジョワの母の姿と重なります。糸を紡ぐ蜘蛛の行為は、母親の繊細さと同時に力強さを象徴しています。さらにブルジョワにとって蜘蛛は蚊を捕食する存在であり、これは人類にとって友好的であり、彼女にとってそれは「優しさ」の象徴です。それはまるで我が子を守る母親の姿と重なり、保護者としての母の役割を強く想起させます。

ブルジョワが「ママン(母)」をテーマにした制作をした際に、蜘蛛をモチーフとしたのは必然であったのかもしれません。

ブルジョワの「蜘蛛」テーマの進化

ブルジョワは1947年より蜘蛛に関するアート活動に着手しており、「ママン」はその延長線上に位置する作品です。1996年に完成した「スパイダー」は、このテーマの成熟した形であり、後の「ママン」の誕生に繋がったことは明白です。蜘蛛は、ブルジョワにとって単なる生物ではなく、彼女自身の個人的な歴史と密接に結びついた存在として常に大きなテーマであり続けたのです。

1996年以降、この蜘蛛はブルジョワの個人的な心理を表す象徴としてさまざまな形態で作品化され、晩年に至るまで多様な表現手法を通じて具現化されていきました。

中でも「ママン」は複数点が制作され、現在も世界各地の美術館で常設展示されています。六本木ヒルズの広場にある「ママン」もその一つです。また、イギリスのテート美術館、スペインのビルバオ・グッゲンハイム美術館、カナダ国立美術館、アメリカのクリスタルブリッジズ・アメリカンアート美術館、韓国のサムスン美術館、カタールのナショナルコンベンションセンターなどでもその姿を鑑賞することができます。

 

ルイーズ・ブルジョワ(1911〜2010)

ルイーズ・ブルジョワ ポートレート(Wikiart.orgより引用)

芸術家としての歩みと自伝的要素

ルイーズ・ブルジョワは、1911年にフランスのパリで生まれました。彼女は幼少期から芸術に親しみ、特に両親のタペストリー修復事業を手伝う中で、素材や形状に対する感覚を養いました。
しかし、彼女の作品に大きな影響を与えたのは、父親との複雑な関係や家族内での葛藤でした。これらの体験は、彼女の無意識や性的欲求、嫉妬、裏切り、恐怖、不安といった深層心理を探る作品に色濃く反映され、自伝的要素を持つ彼女の作品は、見る者に強烈な感情を喚起させます。

特にブルジョワは鑑賞者が拒絶してしまうようなモチーフを多用することで知られています。代表作のママンで用いた蜘蛛以外にも性器や変形した身体、不揃いな人形、集合体といった一般的に目を背けてしまうようなモチーフwを多用し、自身のトラウマや葛藤を芸術を通して表現しました。

ブルジョワがアーティストとして本格的に活動を始めたのは1940年代後半、ニューヨークに移住してからのことです。初期の作品は絵画や版画でしたが、徐々に彫刻に移行し、特に人体や生物を象徴的に表現する作品で知られるようになります。

“I became an artist – to find a mode of survival.”(私は生き残る方法を見つけるために芸術家になった)」

という彼女の言葉が示すように、彼女にとって芸術は自己救済の手段であり、カタルシス的な制作プロセスそのものが、自分を救うための戦いでもあったのです。

フェミニズム運動との関わりと後世への影響

ルイーズ・ブルジョワの作品は、自伝的要素に加え、女性性や抑圧、トラウマといった普遍的なテーマも扱っています。特に自身の身体や感情を表現することに重きを置いていたため、これがフェミニズム運動が過熱していた時代背景と結びつき、ブルジョワの作品はフェミニズム・アートとして分類されることも少なくありません。
彼女の作品には、父親に対する怒りや葛藤がしばしば現れ、それは権力やジェンダーの問題にもリンクしています。

こうした作品群は1970年代以降のフェミニズム運動やアイデンティティ政治に大きな影響を与え、特に女性アーティストたちに共感を呼びました。
しかし、ブルジョワ自身はフェミニストとして自らを定義することはせず、あくまで自己表現の手段としての芸術に集中していました。1982年にニューヨーク近代美術館で開かれた個展以降、彼女の作品は再評価されることとなり、国際的な名声を確立することとなりました。

彼女の作品は、20世紀後半から21世紀初頭にかけての現代美術において、ジェンダーや政治、個人のアイデンティティを探求する重要な基盤を築いた人物として知られています。

ルイーズ・ブルジョワの遺産

ブルジョワは2010年に亡くなりましたが、彼女の影響は今なお強く残っています。特に今回解説した「ママン」は、母性の象徴として世界中の観客に深い印象を与え、現代彫刻の傑作として高く評価されています。彼女が探求した個人的なトラウマや無意識の表現は、今を生きるアーティストたちにとって最も重要なテーマと言えるものであり、ブルジョワの遺産は現代美術における自己表現の多様性を広げ続けています。

 

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