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2023.06.16

バスキアが絵に描いた三つのシンボルの意味

ジャン=ミシェル・バスキア(1960-1988)は、20世紀後半に活躍したアメリカを代表する芸術家であり、彼の作品は独特なスタイルと象徴的なイメージで知られています。

バスキアは独学で絵筆を握り、徹底して白人主導だったアート界に新風を巻き起こし、10年弱の制作期間に1000点以上の作品を制作しました。彼を一言で表すならば「比類なき天才」であり、またその突出した才能で初めて世界的な成功を収めた黒人アーティストと言えるでしょう。しかし1988年8月、バスキアは大活躍のさなか27歳という若さで夭逝、新時代のアートを担うはずの若者の死に世界中が大きなショックを受けました。しかし彼のレガシーは現代まで脈々と継承され、バスキアの名はアート界において今なお伝説として語られています。
バスキアの作品はシンプルで直接的な表現が用いられていますが、その背後にはさまざまな意味があり、黒人であることのアイデンティティが強く反映されました。バスキアは残した多くの作品に特定の意味を持ついくつかのシンボル(=モチーフ)を頻繁に描きました。本記事ではそんな彼の作品を読み解く上で最も重要なシンボルを三つご紹介してまいりたいと思います。

王冠(CROWN)

CROWN,1982
レオナルド・ダ・ヴィンチ グレイテスト・ヒッツ, 1982

まず一つ目に解説する重要なシンボルは王冠(CROWN)です。
バスキアはこの王冠のモチーフを好み、頻繁に描きました。それは単純な象徴としてだけでなく多面的な意味を持った象徴だったことが知られています。
まず、王冠は権力や支配の象徴として解釈されることがあります。バスキア自身が黒人のアーティストであり、社会的な不平等や人種差別に関する問題に非常に強い関心を持っていたことから、彼は作品に頻繁に権力の問題を取り上げました。王冠はバスキアにとって支配的な存在や権威への挑戦を表現する手段として使用され、社会的な不正義に対する抗議の象徴となりました。
次に、バスキアの王冠はアフリカの王や神話的な存在との関連性を示すこともあると考えられています。これもアフリカの文化やアフリカ系アメリカ人のアイデンティティに起因していると考えられており、王冠はその文脈で使用されることがあります。バスキアの作品の中にはアフリカ芸術の影響が見られ、アフリカの壁画に見られる色彩やアフリカの民族や部族によって作られたマスクを想起させるモチーフが多く登場します。王冠はアフリカの伝統的な王権の象徴であり、バスキアはこれを通じてアフリカの歴史や文化の重要性を強調していると考えられています。
さらに、バスキアにとって王冠は尊厳と力への信念を表現する一部として機能しています。バスキアは歴史に名を残した黒人のアーティストおよびアスリートを題材にした作品を数多く残し、それらの作品にたびたび王冠を描きました。そこで王冠は人種のせいで正当な評価を受けられなかった、バスキアと似た境遇の中で名声を手にした人物たちへの賛辞を意味するシンボルとなりました。
また、王冠はバスキア自身の力を象徴する象徴と考えられており、名声と富を求めた彼の野心の象徴や芸術の「王」を自称したことを示唆していると考えられています。

スカル(SKULL)

 

Liberty, 1983
Skull, 1981

次に解説する重要なシンボルはスカル(SKULL)=頭蓋骨です。おそらく多くの方はバスキアと聞いて真っ先に思い浮かべるのは頭蓋骨の作品なのではないでしょうか。それほどまでにバスキアの頭蓋骨を描いた作品は広く知られています。バスキアの作品における関心は常に人間が中心であり、人体のあらゆる部位、器官を作品の中に描いています。その中でも人間の頭部には強い関心を抱いていました。
バスキアが人体を描くようになったきっかけは、子供の頃に起こった事故に起因しています。バスキアは7歳の頃に交通事故に遭い、脾臓を摘出する大手術を経験しました。その入院中に母から受け取った医学書「人体の解剖学」(著者ヘンリー・グレイ)がきっかけとなりバスキアは人体に強い関心を抱くようになりました。そして生涯、それは彼のインスピレーションの源泉となりました。この頭蓋骨をはじめとした人体の描き方はさまざまで、いたずら描きのようなものもあれば解剖学書を手本に細部まで描写されたようなものもあります。
バスキアの頭蓋骨は人体への関心を特に象徴したシンボルと言えるものであり、ここにもやはり黒人のアイデンティティや歴史への言及が色濃く現れています。頭蓋骨はアフリカの文化で行われるブードゥー(もしくはヴォドン。「精霊」の意)の儀式を想起させ、あるときは「死を念頭に置け」を意味するラテン語のメメント・モリ(=死や死の不可避性)を思い起こさせるシンボルとなります。もちろんこれらも作品によってその意味合いは大きく変わりますが、いずれにしても彼の描いたスカルをはじめとする解剖学的な人体は、肌の色は違ってもその皮膚の下の構造には人種による大きな違いはないことに気付かされます。黒人アーティストと呼ばれることを嫌い、黒人アーティストのレッテルに悩み苦しんだバスキア。彼は人体を描くことによって人種や出自にとらわれず、普遍的なメッセージとして捉えられることを望んでいたのかもしれません。

テキスト(TEXT)

Eroica Ⅱ, 1988
Eroica I, 1988

最後に解説する重要なシンボルはテキスト(TEXT)です。このテキストというシンボルはバスキアの作品において非常に重要な要素として知られています。実際多くの作品にはテキストが描かれており、場合によってはほとんどテキストだけで構成されている作品さえあります。バスキアは文字や単語を芸術の表現手段として積極的に使用しました。
作品に描かれるテキストはお金や物の価値に関するものや著作権や所有を示すもの、商品名や広告にまつわるもの、描いた人体の器官の名称、黒人アスリートやアーティスト、ミュージシャンなどの名前、抑圧や大量虐殺のシンボル、奴隷制や暗黒大陸といった人種差別に関するもの、さらにはマンガのキャラクターや聖書からの引用など多岐にわたります。バスキアはこれらを規則的に並べたり、反復したり、時にはランダムに配置しました。これらのテキストは多くの場合説明としての機能ではなく、視覚的な要素として使われています。バスキアは文章から切り離した単語を不規則に並べ替えて、そこから生まれる意味や文が生み出すイメージを多用しました。そのため意味を持たない、もしくは解読できないテキストも作品の中には存在します。バスキアの作品を理解する上では、言葉の直接的な意味よりむしろモチーフとの関連性を見出した方が作品の真意を読み取る上で重要なアプローチになると考えられています。
この表現方法の背景には彼が敬愛していた作家のウィリアム・バロウズの「カットアップ」の手法が大きな影響を与えたとされています。これらにストリートアートの感性とアイデンティティが加わることでバスキアの作品には圧倒的な独自性が生まれました。そのアイデンティティとはやはり彼が黒人だったことです。テキストを通して自身の内面を感情的でありながらも詩的に、象徴的に多くの人を魅了するアートとして表現したのです。

まとめ

以上がバスキアの作品を読み解く上で重要な三つのシンボルの解説となります。
上述しているとおり、シンボルは特定の意味だけを示すものではないですし、さらにこのシンボルについてバスキア自身が全て語ったわけではないため、作品によってそのシンボルの意味合いは異なります。そのためシンボルにあるいくつかの意味を知ったからと言ってバスキアの真意を理解できるわけではありません。しかしこの代表的な三つのシンボルはバスキアの絵を読み解く上で重要なヒントになってくれることは間違いないでしょう。また本記事でご紹介させていただいた三つ以外にもバスキアは数多くのシンボルを作品上に描きました。気になる方は王冠、スカル、テキスト以外にどのようなシンボルがあるのかご自身で探してみていただければ幸いです。

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