2023.08.02
【今日の一枚】描画された詩 サイ・トゥオンブリー 「レダと白鳥」(1962)
【今日の一枚】今回は、サイ・トゥオンブリー作「レダと白鳥」(1962年制作 MoMa収蔵)です。
サイ・トゥオンブリーは20世紀を代表する現代作家で、本作は彼の代表作の一つです。
一見「子どもの落書き」とも感じられる彼の作品は「描画された詩」と評されます。
本記事では「レダと白鳥」を通してトゥオンブリーの「描画された詩」とはどのようなものなのかを見ていきたいと思います。
サイ・トゥオンブリー(Cy Twombly)1928-2011
サイ・トゥオンブリーはアメリカの現代芸術家で、その人気の高さは今なおトップレベルにあります。
時代区分としてはジャクソン・ポロックやマーク・ロスコ、クリフォード・スティルなどの抽象表現主義に続く世代に分類されますが、生前はどの流派にも属すことなく独自の表現で活動し続けました。
トゥオンブリーは、1928年にヴァージニア州で生まれました。若い頃から芸術に関心を抱いており、1947年にはボストンのアートスクールでドイツ表現主義を学びました。2年後の1949年にはワシントン&リー大学へ進学し、当時先進的な美術教育を行なっていたニューヨークのブラックマウンテンカレッジでは抽象表現主義のロバート・マザーウェルに出会っています。マザーウェルの影響はトゥオンブリーにとって極めて大きく、その後の彼の芸術家人生を大きく左右することとなります。
またトゥオンブリーは1953年にアメリカ陸軍に入隊し、暗号制作者として従事します。わずか一年で除隊するものの、この経験はその後の彼の制作に大きな意味を与えることとなりました。
トゥオンブリーの作品に生涯にわたって現れる記号は、この暗号制作の経験が作品に投影されていると考えられています。加えてこの時期はグレー・ペインティングというトゥオンブリーの中でも特に有名な表現も行うようになったときであり、彼のその後の作品制作において重要な発見をした時期でもありました。除隊後はローマに移り住み、詩や神話、古典から着想を得た作品を数多く発表していくこととなりました。
1960年代に入るとアメリカの芸術界で大きな貢献を果たした画商レオ・カステリの目に留まり、彼の協力のもと大規模な展覧会を各国で実施。1980年にはヴェネツィアビエンナーレに参加し世界中から注目を集めることとなります。以降はさらに活躍の場を広げ、1988年にフランス芸術文化勲章、1996年に高松宮殿下記念世界文化賞、2001年にヴェネツィアビエンナーレ金獅子賞(最高賞)など、さまざまな賞を世界各国で受賞し、最も有名な現代作家の一人と数えらえるようになりました。その後も積極的な創作活動を続けましたが、人気絶頂の2011年に逝去。死後も大規模な展覧会が開かれるなど、今なお影響力を持ち続けています。
「レダと白鳥」
改めて作品を見てみましょう。一見、落書きしたように感じられる彼の作品も、注意深く見てみるとさまざまな発見があります。
全体は爆発したような描かれ、無秩序な線がランダムに配置されているように感じられますが、右下のLeda and the Swanの文字や右上には格子やハート型のモチーフ、画面中央上付近にはeを続けて描いたようなモチーフ、画面右側には(筆記体の)lを続けて描いたようなモチーフといったように”解読”可能なモチーフが描かれていることがわかります。色彩にもを向けてみると赤、オレンジ、黄色が所々に置かれて、鉛筆、色鉛筆、ペンキ、ワックスクレヨンで置かれたそれぞれの色の質感が異なることも見てわかるのではないかと思います。
本作にはトゥオンブリーが60年代から好んで行なった「無彩色に近い背景にクレヨンなどでドローイングを重ねた」表現や、eやlを続けて描いたような自身が考案した記号のようなものが随所にみられる作品となっています。
そしてお気づき方もいるかもしれませんが、本作で最も注目すべき点が「レダと白鳥」というタイトルです。トゥオンブリーは詩や神話、古典から着想を得た作品を数多く制作していますが、本作もまたギリシア神話をモチーフとしています。
「レダと白鳥」はギリシャ神話に出てくるゼウスの浮気物語の一つです。全知全能の神であるゼウスは女性にだらしなく、正妻へーラーの眼を盗んで数多くの浮気を繰り返しました。物語は古代ギリシアのスパルタ王妃だったレダに恋したゼウスが、鷹に追われる白鳥に変身して近づき、彼女と交わったという話です。
これは芸術の題材として古くから描かれたモチーフであり、ダヴィンチやミケランジェロ、セザンヌ、マティスも同タイトルを描いています。これらの芸術家たちが描いたのはいずれも官能的表現が大きなテーマとなっています。
一方でトゥオンブリーが「レダと白鳥」で描こうと試みたのは「暴力、情熱、恍惚」。本作は絵画の中で長年捉えられてきた神話モチーフに対する再考と言えます。これは独自の視点を持つトゥオンブリーの特徴的なアプローチと言えるでしょう。中央を起点として円心状に広がる線、円、飛び散ったような色彩は、鑑賞者に爆発、もしくは放出するような熱を感じさせ、それは「暴力、情熱、恍惚」を感じさせます。
しかし、これはただ単にトゥオンブリーの心情や彼が神話から感じ取ったものをそのまま表現した、というわけではありません。
なぜならトゥオンブリーは本作を勢いのままに描いたというわけではなく、綿密なイメージを形にするための実験を繰り返していました。それは2017年のオークションで、58億円で落札された別の「レダと白鳥」(1962)をみるとよくわかります。
双方では右下には「Leda and the Swan」という文字、右上から中央付近にかけて格子、中心を基点として爆発するように描かれるeやlの連続する字が、共通して描かれています。細かく見比べてみると、細部の違いはありますが、全体の構成は非常に似かよっています。彼は自身の作品について語りたがらなかったと言われていますが、上掲の作品以外にも「レダと白鳥」を描いており、彼の綿密なイメージを形作るために制作(または実験)を繰り返していたと考えられています。何より、殴り書きのモチーフやクレヨンという子どもが用いる画材という点からよく「子どもの絵のよう」と言われますが、彼の作品の背景には古典的な美術や文学についての思索が込められていることが伺えます。本作でトゥオンブリーは抽象とも異なる彼独自の記号や色彩や画材を用いることによって、古典の神話の中にあるイメージを描き出したのです。
彼は作品を通じて「デッサンと油彩」、「高尚な芸術と大衆芸術」といった境目をぼやかすことを一つの実験として長い間取り組んでいました。そのためトゥオンブリーの作品は「描く」と「書く」が混在し、言語とイメージを行き来する無数の線や色から成っています。その境目に触れた鑑賞者は彼の使ったモチーフや意味を持たせた記号を追って作品を「読み取ろう」とします。それはまさしく絵と言語の境目を超えた「描画された詩」であり、絵画の枠には収まらない豊かな詩情が表れているのです。
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