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2025.04.05

【たった3匹】アンリ・ルソーの描いた猫たち

みんな大好きアンリ・ルソー。

アンリ・ルソー(1907年、パリ14区ペレル通りのアトリエにて)

素朴派(ナイーブ・アート)の元祖として知られる彼の作品は、いろいろな意味で人々を魅了し続けてきました。現在の彼は偉大な画家であり、偉大なネットのおもちゃです。

中でもジャングルや砂漠などを舞台にした空想世界の作品、身近な人物をモデルにした肖像画などが代表作として知られ、世界中に笑顔を提供しています。

「ジェニエ爺さんの馬車」

 

そんなルソーですが、実は彼の作品中に猫がほとんど登場しないことをご存知でしょうか?
熱帯雨林や肖像画、日常の風景画など、ルソーはかなり多作な画家として知られます。
ところが猫に限っては、現在確認されている作品でも実に3点しか登場せず、主役になっているものはわずか1点という寡作ぶりなのです。
今回は、そんな貴重なルソーの猫たちをご覧ください。

 

アンリ・ルソーについて

アンリ・ルソー(1844-1910)はフランスのナイーブ・アート(素朴派)の代表的画家です。独学で絵を学び、官僚の職を辞した後に創作に専念しました。彼の作品は、正確な遠近法や伝統的技法に頼らず、鮮やかな色彩と幻想的な構図で独自の世界を表現しました。代表作「夢」や「飢えたライオン」はその典型です。ルソーは当初、同時代の批評家から評価されませんでしたが、パブロ・ピカソやアポリネールら前衛芸術家に支持され、20世紀美術に多大な影響を与えました。

晩年のルソー。ピカソら若手前衛画家に着想をもたらし、評価されたとも言われるが、晩年は生活費に困窮したり、詐欺事件で拘留されるなど、辛く寂しいものだった。

それでは、彼の描いた猫たちを見ていきましょう。

. X氏の肖像(ピエール・ロティ) 1906年 チューリヒ美術館所蔵

絵の主役となっている男性(ピエール・ロティ?)の存在感も然ることながら。

何なんでしょう、左下の猫ちゃんの異様な雰囲気。

こちらを睨むような瞳の輝きと、ピンと伸び切った姿勢の良さ。

ロティ氏が優しそうでユーモラスな雰囲気を漂わせているだけに、猫とのテンションの差が際立ちます。

もちろん当のルソーにそんなつもりはありません。

彼は画面の構成を考えず、とりあえず主役を描いてから周囲を描き足していく癖がありました。本作でもおそらく男性の肖像部分を一気に仕上げてから、余白に気づいて描き込んだのかもしれません。
ロティ氏は愛猫家だったので、良かれと思って描いたのではないかと考えられます。
本作は長年にわたって謎に包まれており、所蔵するチューリッヒ美術館も「X氏の肖像」というタイトルを選択しており、ロティ氏の名前を明確にはしていません。

. M婦人の肖像 オルセー美術館所蔵

「X氏の肖像(ピエール・ロティ)」の、より顕著な例がこの「マダムMの肖像」です。

タイトルにもあるとおり、とにかく猫が小さい。
もしくは婦人がデカすぎるのかもしれません。背景の木々をご覧ください。婦人よりも明らかに低いですから。

ちなみにルソーの悪い癖として、敬意を払いたい人を描く際、必要以上に大きく表現する傾向にありました。逆に言えば、ルソーは猫に対して敬意がなかった、というかあまり思い入れがなかったと言えるでしょう。
実際、婦人の巨人ぶりを差し引いてもこの猫は小さすぎます。
手前にある花よりも顔が小さく、なぜこれほど小さな猫をあえて描く必要があったのでしょうか。

本作は、ルソーの作品の中でもかなり仕上がりが丁寧であることから、あらかじめ発注を受けて制作されたという説があります。おそらくサービス精神の強いルソーなので、「猫も描いてあげたら喜ぶのではないか。いや絶対そうだ!」と考えたのかもしれません。(ルソーはサービス精神が強いと同時に、大変思い込みの強い性格でした)

.Le Chat Tigre(キジトラ)』 個人蔵

Le Chat Tigre(キジトラ)』。
猫が主題になっているルソー作品は現時点でこの一枚しかなく、そういった意味では極めて貴重な絵と言えるでしょう。
ちなみにキジトラとは、猫の毛の模様のことです。

特筆すべきはこの珍妙な顔つきです。
骨格的に猫ではない、というより、猫の特殊メイクを施した中年男性のように見えます。分厚い毛皮の向こうに人間がいるのです。
この独特のクセの強い鼻筋に面長な輪郭はルソーが人間を表現する時の特徴で、特別主役でもない人物を描き足した時ほどその傾向が顕著になります。

というのもルソーは独学で絵を勉強した画家なので基礎的な絵画技術の素養が無く、美術学校でひたすら動物をデッサンする、というような経験がありません。生き物を表現しようとすると、どうしても同じ方法論をなぞってしまったのではないかと考えられます。

しかしその結果、一目見たら忘れられないような唯一無二の猫が完成してしまったわけですから、改めてルソーの天才ぶりが実感できる作品と言えるのではないでしょうか。

最後に

以上が、アンリ・ルソーが作品として描いた猫の全てとなります。

彼が生涯で描いた作品は134点(出展:artchive  https://www.artchive.com/paintings-by-artist/henri-rousseau/?utm_source=chatgpt.com)ですから、わずか3点というのはかなり少ないと言えるでしょう。

おそらくルソーにとって猫をはじめとする身近な動物たちは、モチーフとして興味惹かれる対象ではなかったと考えられます。

もしそれほど興味を惹かれなかったとすれば、余白の穴埋めに使ったり、おっさんのような顔になったりするのも、仕方がなかったと言えるでしょう。

ただし『夢』『蛇使いの女』などの熱帯雨林に登場する動物たち――ライオンや猿、ヘビなどは、空想世界の住人として別枠の扱いだったのではないでしょうか。

「蛇使いの女」

ルソーは子どものように素直な人でした。好きなものとそうでないものとで絵筆に温度差が出ることを厭わない、もしくは気づいてすらいなかったかもしれません。

今回紹介した3作品が今後日本に来る可能性はかなり低いでしょう。絶対に見るべき絵とも言い切れません。しかしルソーという画家の人柄を感じるには良い作品ではないかと思うのです。